Posted on 10/07/2018 at 01:39, by matsumoto

主日礼拝メッセージ要約『全能なる主イエス様の権威』(イエス・キリストの生涯 その37)(2018.9.30)

 

 

イエスがその枕もとに来て、熱をしかりつけられると、熱がひき、彼女はすぐに立ち上がって彼らをもてなし始めた。(ルカによる福音書4章39節)

 

  • はじめに…ナザレの会堂で「捕らわれ人には解放を告げるために遣わされた」と語られたイエス様は、ナザレからカペナウムに行かれ、会堂に入り汚れた霊につかれた人を、その悪霊から解放されました。いずれも安息日の出来事です。その後、ペテロの家に入り、ペテロのしゅうとめめの病をいやされました。私たちも様々な物や事に縛られています。イエス様はそのような捕らわれから解放するために降って来られました。解放は安息、ひと息つく憩いの出来事です。

 

  • 安息日の出来事…カペナウムの会堂からシモンの家は見えているほど近いところにあります。大人の歩幅で50歩ほどです。会堂を出てシモンの家に行かれたイエス様は、ひどい熱で苦しんでいるシモンのしゅうとめに歩み寄り、熱をしかりつけられました。すると彼女はすぐに立ち上がり、働き始めました。それを見ていたシモンや他の人々の驚きと喜びは、どれほどだったでしょう。

 

  • 夕暮れ時の出来事…日が暮れるということは、この日、安息日が終わったことを意味します。ユダヤでは夕方から新しい一日が始まるからです。これは「夕があり朝があった」(創世記1章5、8、13節他)という天地創造の過程に由来しています。そして神が御業を終え、休まれた日を安息日として定められました。このことからイエス様の行為は律法違反ではありません。束縛の中にいる人々に対して放っておかれず、ひとりひとりを大切にされました。それは本来の安息日の意味の回復であり解放です。死ではなくいのちを与えようとされる主の愛の姿です。私たちを取り囲む様々な束縛から私たちを解放し、生きる者として下さいます。

 

  • 結び…「すべて疲れた人(束縛されている人)、重荷(規則や人の作ったきまり)を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませて(安息、ひと息つかせて)あげます」(マタイ11章28節)主の祝福を祈ります。

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