Posted on 05/09/2010 at 08:16, by matsumoto

主日メッセージ要約(2010年5月9日)

今日のみことば

神のことばは生きていて、力があり、両刃の剣よりも鋭く、たましいと霊、関節と骨髄の分かれ目さえも刺し通し、心のいろいろな考えやはかりごとを判別することができます。(ヘブル4章12節)

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祭司の務め…イスラエルの民は、主(神様)と出会う場所として「幕屋」を設けました。もちろん、主ご自身の指示通りに作りました(出エジプト25‐27章)。ただし罪ある人間が主に近づくためには“いけにえ”が必要であり、そのいけにえを捧げる務めを祭司が担っていました。牛、羊、やぎ、ハトなどを刃物を用いてほふり、細かく切り分けていました。きっとほふられる家畜を見ながら、自分自身と重ねて、霊・魂・体を主の前に差し出していたことでしょう。人々は身体性・現実感覚を忘れることはなかったでしょう。

クリスチャンの務め…クリスチャンの私たちは、ともすると語ることばは立派でも、実際、自分自身の行動が伴っていないということがないでしょうか? 身体感覚、現実感覚を見失ってはいないでしょうか?

結び…みことばの刃物で自分自身を切り裂いて、傷ついたところ(罪)がないか、主に調べてもらい、主との和解、主への献身の日々を過させて頂けるよう、祝福して祈ります。

〈整骨牧会ひとくちメモ〉十字架…ある日、祈りの中でマッサージの方法を神様が啓示してくれました。マッサージを始める時、「○○さん、今日はどこが痛いですか?」と声掛けをしながら軽く背骨から肩甲骨に向かって横に、そして背骨を上から下へ撫でます。そしてマッサージの最後に頭の頂点から横方向、そして縦方向に指圧するというものです。名付けて『十字架サンドイッチ整骨法』。この方法で実際マッサージをすると患者さんの治癒力が向上するように感じられます。

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