Posted on 04/03/2016 at 04:31, by matsumoto

主日礼拝メッセージ要約『虚しさを満たされる主 聖地巡礼旅行(その11)』(ヨベルの年 第30週)(2016.4.3)

写真=復活のイエス様がペテロに「わたしを愛するか」と三度問われた、ガリラヤ湖畔にある、ペテロ召命教会

イエスは彼らに言われた。「子どもたちよ。食べる物がありませんね。」彼らは答えた。「はい。ありません。」(ヨハネ福音書21章5節)

 

  • はじめに…先主日はイースターでした。主イエス様が十字架に付けられ、3日目に墓の中からよみがえり、最初にマグダラのマリヤに出会われたのです(ヨハネ福音書20章15節参照)
  • 復活の主の第一声…復活のイエスはマグダラのマリヤに、「なぜ泣いているのですか」「マリヤ」(同15、16節)と声をかけられたのです。マリヤは、その報告をするために弟子たちが身を隠しているところへ行きました。戸が締められ、かぎが掛けられていたところへ復活のイエス様は入って来られ、(着物を捲くりあげて)手と脇腹を見せ「平安あれ(シャローム)」と言われ、息を吹きかけ「聖霊を受けよ」と語られたのです(同21、22節)。復活の主は、ハデス(シェオル、すなわち黄泉)の門を通り、死んだ者に福音を語り、墓の入口を開かれ、マグダラのマリヤはじめ、弟子たちに慰めと励ましのみことばを語られたのです。
  • ガリラヤ湖畔で…以前ペテロは、ガリラヤ湖で網を打っていたところ、イエス様に「人間をとる漁師にしてあげよう」(マタイ福音書4章19節)と声を掛けられ、すぐに網を捨てて従いました。そのペテロは今、失意落胆のなかで、再び網を手に取り、漁に出かけたのです。もとの職に戻ろうとしたのです。しかし、何も取れませんでした。そのペテロたちにイエス様は「食べる物がありませんね」「舟の右に網をおろしなさい。そうすれば、とれます」(ヨハネ福音書21章5、6節)と御声を掛けられました。すると153匹の魚が獲れた、そう聖書は記しています。復活のイエス様のない生活は、良きものが何もありませんが、復活のイエス様を見出した生活は、恵みで満ちます。逆に言えば、何もない空虚な生活に、復活の主が近づいて来られ、御声を掛けてくださり、恵みを満たしてくださるということです。
  • 結び…新しい月、皆さんに近づき、御声を掛け、ともに歩んでくださる復活の主を崇めます。

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