Posted on 04/24/2016 at 04:22, by matsumoto

主日礼拝メッセージ要約『聖霊が臨むとき』(ヨベルの年 第33週)(2016.4.24)

 

しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。(使徒の働き1章8節)

  • はじめに…以前、長崎県の壱岐島の教会で牧会していたとき、創刊間もない新聞社でアルバイトをしていました。その新聞社が来月廃刊することに。まさかの廃刊の知らせに天を仰ぐ思いでした。
  • 人間=顔を天に向ける者…ギリシャ語で人間はアンスローポスと言いますが、これは、上(アナ)と顔(プロソーポン)を合わせた語です。ですから人間は“顔を天に向けて祈る者”だと言うことを意味します。
  • 天を見つめる…復活のイエス様が天に昇って行かれるとき、弟子たちは天を見つめていました(使徒1章10節)。イエス様との別れが名残惜しかったゆえでしょう。呆然と天を仰いで立ち尽くす弟子たちの姿を見て、すぐに天使が励ましに来ました。“イエス様はまた来る”と告げました。天使に励まされて弟子たちは一路エルサレムへ。天使の励ましによって祈りの火種を持って最後の晩餐をしたあの二階の大広間へ行きました。
  • 力を受ける…「聖霊が臨まれるとき、力を受ける」とイエス様は約束をされましたが、その「力」はデュナミスで“ダイナマイト”です。固い岩盤を砕く力です。罪や過去や自己に凝り固まった人間の心を砕く力です。憎しみや裁きではなく、愛と赦しの力です。
  • 証人となる…聖霊に満たされ、力を受けた者は、自分自身が体験したイエス様の証人となります。エルサレムすなわち身近なところ(かつて失敗し、逃げ出したところ)から徐々に周囲にと、その証しの範囲が広がっていきます。つい私たちは先を急ぐあまり遠いところへ伝道の思いが前のめりになりがちです。また自らの失敗や挫折の経験が知られているところは避けたいと思います。しかし証人は“殉教者”を意味します。自分の思いや考えを優先するのではなく、主(聖霊様)の導きに従うことが求められます。イエス様は、私たちが“証人になる”ことをご存知です。
  • 結び…皆さんお一人ひとり、主から証人となることを既に保証されています。聖霊様が内に満ちてくださり、祈りの火種によって大きな力となって広がるよう、祈ります。

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