Posted on 10/30/2016 at 21:20, by matsumoto

主日礼拝メッセージ要約『ラオデキヤにある教会(黙示録 その10)』(2016.10.30)

 

見よ。わたしは、戸の外に立ってたたく。だれでも、わたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしは、彼のところにはいって、彼とともに食事をし、彼もわたしとともに食事をする。(ヨハネ黙示録3章20節)

  • はじめに…先週、家内と『花フェスタ記念公園(バラ園)』に行ってきました。バラはほんの少ししか残っていませんでしたが、茶室“織部庵”で、温かいお茶を一服頂き、しばし静かな時を過ごしました。庭の手水鉢に竹筒を通って滴り落ちる水の音と、その冷たさ(そして涼やかな風)に、心洗われました。
  • ラオデキヤ=民を悦ばせる…今日は、七つの教会の最後、ラオデキヤの教会から、みことばをともに聞きたいと願っています。ラオデキヤの名の由来は“民を悦ばせる”です。耳に聞こえは良いのですが、人間中心で、主イエス様(みことば)が、ないがしろにされていたようです。
  • 金融、ファッション、医療…ラオデキヤは非常に豊かな町だったようです。古くから大銀行があり、黒ウールの産地であり、医薬品の産地(越中富山のようであったと、内村鑑三は解説)であり、温泉保養地がありました。これがラオデキヤの豊かさの源泉でした。
  • 根源である方…その富を誇るラオデキヤの教会に向けて、イエス様は、『アーメンである方、忠実で、真実な証人、神に造られたものの根源(アルケー)』(ヨハネ黙示録3章14節)だと自己紹介しています。“根源(アルケー)”は、ヨハネ福音書1章1節の最初のみことば「初め(アルケー)に、ことばがあった」の“初め”であり、コロサイ1章18節の「御子は初め(アルケー)であり…」の“初め”です。
  • 熱くも冷たくもない…この万物の根源であり、教会のかしらである主イエス様が、ラオデキヤの教会のことを“なまぬるい”(黙示録3章16節)と叱責されているのです。そして自らの富を誇り、ある意味自己満足と惰性で暮らしている者に、「わたしから金、白い衣、目薬を買いなさい」(同18節)と忠告されます。
  • 戸の外に立ってたたく…しかし主は、見捨てることなく、近づいて来られ、戸をノックされ、しかも声をかけてくださいます。戸を開け、イエス様をお迎えし、夕食(聖さん)を囲むとき、私たちの内に天国、新天新地が創造されます。
  • 結び…新しい週、皆さんお一人ひとりが主イエス様と親しく交わり、熱いいのちが湧き上がりますように。

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