Posted on 03/26/2017 at 15:08, by matsumoto

主日礼拝メッセージ要約『わたしの心は騒いでいる』(2017.3.26)

 

まことに、まことに、あなたがたに告げます。一粒の麦がもし地に落ちて死ななければ、それは一つのままです。しかし、もし死ねば、豊かな実を結びます。(ヨハネ福音書12章24節)

  • はじめに…先週の水曜日、突然のことでしたが、葬儀告別式の司式のために大阪に出かけました。幸いなことに、この日はわたしの仕事の休日だったので、心置きなく出かけられました。すべては主が整えてくださったのです。ハレルヤ。
  • 公生涯最後の宣教…さて、今日のテキストは、過越の祭りの5日前の出来事です(ヨハネ12章1、12節)。この日、イエス様は、ろばに乗ってエルサレムに入城されました。人々はしゅろ(=なつめやし)の木の枝を取って、イエス様を出迎えました。そこに何人かのギリシヤ人もいました(同20節)。そこでイエス様は、公生涯最後のメッセージを語り始められました。
  • 一粒の麦、地に落ちて…「一粒の麦がもし地に落ちて死ななければ、それは一つのままです。しかし、もし死ねば、豊かな実を結びます」(同24節)。このみことばを告別式のお祈りとしました。今回、天に召された姉妹の最後の数年間は、何とも言葉では言い表せないほど悲惨なものでした。人としての扱いをされず、人としての尊厳を無視され続けたのです。それは姉妹ひとりだけの出来事ではなく、その背後に何千何百という人たちが、同様の苦しみに遭っているであろうからです。イエス様の受難の出来事がそこにあります。
  • わたしの心は騒いでいる…「一粒の麦、地に落ちて…」と語ったイエス様は、平然と語ったのではありませんでした。率直に心の内なる動揺する思いを口にされました。「わたしの心は騒いでいる。何と言ったらよいのか。『父よ、この時からわたしをお救い下さい』」(同27節別訳)。イエス様は、神学的、倫理的に正しい解答をされたのではなく、憤り、動揺し、身悶えして、正直に渦巻く思いを天の父に向けました。“騒いでいる”は、詩篇6篇2,3節の“恐れおののいている”という言葉と同じです。
  • 天から声が…すると、天から声が聞こえ、ある人には雷(神鳴り!?)のように、またある人には御使いの声のように聞こえました。
  • 結び…新しい週、皆さん一人ひとりの心の動揺を、主が受け止めてくださり、御使いを通して御声を掛けてくださいます。

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