Posted on 04/09/2017 at 19:44, by matsumoto
そのとき、イエスはもう一度大声で叫んで、息を引き取られた。
(マタイによる福音書27章50節・ヨハネによる福音書19章30節参照)
- はじめに…私たちは、日々の暮らしの中で、知らずしらずのうちに身体が緊張し、胸が縮こまり、精神的・霊的視野が狭くなっています。そんなとき、数時間でも日常から少し離れ、小高い山を見上げるだけでもリフレッシュできます。「私は山に向かって目を上げる。私の助けは、どこから来るのだろうか。私の助けは、天地を造られた主から来る。」(詩篇121篇1-2節)
- 十字架の七言…さて、今週は“受難週”です。今しばらくのとき、ゴルゴタの丘を見上げ、十字架のイエス様を仰ぎ、イエス様の語られた十字架のことばに耳を傾け、みことばの奥義を聞きたいと願っています。イエス様は十字架で七つのことばを語られました。①父よ。彼らをお赦しください。彼らは何をしているのか、 自分でわからずにいるのです(ルカ23章34節)、②まことにあなたに告げます。あなたはきょうわたしとともにパラダイス(=ヘブル語訳でエデンの園)にいます(同43節)、③女の方、そこにあなたの息子がいます。そこに、あなたの母がいます(ヨハネ19章26節)、④わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか(マタイ27章46節)、⑤わたしは渇く(ヨハネ19章28節)、⑥完了した(同30節)、⑦父よ。わが霊を御手にゆだねます(ルカ23章46節)
- もう一言…実は七つのことばの他に、もう一言あります。今日のテキストにあるように、“大声での叫び”です。この最期の絶叫の後、神殿の聖所と至聖所を仕切っている幕が、上から下まで真っ二つに裂けたのです(マタイ27章51節)。年に一度、大祭司だけが入ることが許されていた至聖所(神の臨在の場所)への道が、すべての人に開かれたのです。父なる愛の神との親密な、永遠の交わりへの道が開かれたのです。そしてイエス様は、“息を引き取られた”のです。一般的にこのことばは「死んだ」ことを意味するのですが、原語は“霊を解き放たれた”です。つまり霊が解放されて(死の束縛から)自由になった状態です。
- エデンの園の復興…ゴルゴタ(がい骨)と呼ばれる死の丘が、十字架のイエス様によって祝福の源であるエデンの園の復興の歴史のスタートとなったのです。それは主に対する“ゆだね”から始まります。
- 結び…握りしめているものを手離して霊の解放を味わう一週間となりますように。
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