Posted on 06/04/2017 at 20:03, by matsumoto

主日礼拝メッセージ要約『視座を変える』(2017.6.4)

 

そこでペテロは彼らに答えた。「悔い改めなさい。そして、それぞれ罪を赦していただくために、イエス・キリストの名によってバプテスマを受けなさい。そうすれば、賜物として聖霊を受けるでしょう。(使徒の働き2章38節)

  • はじめに…毎週土曜日は、デイで将棋を指すことになったことを先週、お話しました。昨日も11時から約30分、将棋の対局をしました。公式戦連勝記録を更新し続ける藤井くんのことも話題に上り、「今日も苦しい将棋だった。20連勝は自分の実力からすれば僥倖(ぎょうこう)としかいいようがない。今後も連勝は意識せず、一局一局大切に戦いたい」と、“僥倖”ということばを使ったことに、いたく感動されていました。わが家でも将棋ネタが話題に上ることもしばしばあり、先日は「ひふみんアイ」ということばをはじめて知りました。
  • 将棋の効用…将棋は単に暇つぶし的な「遊び」ということではなく、そこから(特に子どもが)学ぶべきことがいろいろあると言われています。ある将棋に関するコラムに書かれてあったものですが、①将棋の「3つの礼」、②「負け」から学ぶ、そして③「無言の声援者」。将棋は勝ち負けを競いながら強くなっていくこともさることながら、礼にはじまり礼に終わるといった、礼節を学ぶ機会です。相手があってはじめて対局できます。その相手に対する敬意を表す「お願いします」で始まり、「負けました」と、敗者の宣言をし、最後に「ありがとうございました」の感謝のことばで終了します。「負けました」と敗者宣言することは勇気のいることです。経済効率一辺倒の競争社会の中で、勝つことが求められ、勝つことが至上命題のように言われます。しかし、負けて成長することができるのです。なかなか「負けました」と言えずに涙する少年が、少なからずいます。しかし、その経験を通して確実にこころが成長していきます。将棋大会では声を出しての声援は禁止されています。ですから保護者は子どもの力を信じて、子どもに任せるといった無言の声援者となります。
  • 悔い改め…この将棋の「型」と信仰者としての「型」には共通点があります。主を前にして「負けました」つまり「私は罪人です」と宣言する勇気、「主よ、感謝します」という感謝、そして密かに隣人のために祈る「とりなしの祈り」。その霊性の中に聖霊様が住んでくださいます。
  • 結び…将棋界の棋士ならぬ、キリスト教会における棋士として人生の対局を一局一局、丁寧に誠実に取り組む皆さん一人ひとりであるよう、祈ります。

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