Posted on 07/26/2017 at 18:59, by matsumoto

主日礼拝メッセージ要約『御霊に感じた私』(黙示録 その33)(2017.7.9)

 

それから、御使いは、御霊に感じた私を荒野に連れて行った。すると私は、ひとりの女が緋色の獣に乗っているのを見た。その獣は神をけがす名で満ちており、七つの頭と十本の角を持っていた。(ヨハネ黙示録17章3節)

 

  • はじめに…昨日、仕事を終えて夜空を見上げると、霞がかった満月が白く光っていました。その前日は七夕で天の川を挟んで、こと座のベガ(織姫星)とわし座のアルタイル(彦星)が夏の夜空に輝いていたことでしょう。空や月や星を見上げるとき、広大な宇宙を創られた創造の神様の存在と意志を感じます。
  • 御霊に感じ…聖書66巻の最後の巻であるヨハネ黙示録は、使徒ヨハネが流刑地のパトモス島で、神様の霊感を受けてしたためた書物です。人は霊・魂・身体の三重の構造を備えています。その霊の部分によって、御使いの存在を認識し、そのメッセージを聞き取ることができます。さらに霊には、世の霊、人の霊、神の霊の3つの霊があり、御霊は、神の霊です。
  • 見えないものこそ真実…霊は、目には見えません。その見えないものの内面を見る“霊の目”、つまり本物と偽物を見分ける目を持つことが大切です。
  • 荒野…使徒ヨハネは、御使いによって“荒野”に連れて行かれました。しかし、そこは大淫婦と形容される物質文明を謳歌している大バビロン(偽宗教)の地でした。物が溢れ、着飾り、酒に酔う人々が行き交う大都会が眼前に広がっているところでした。それがヨハネの霊の目には“荒野”に見えたのです。
  • 神から離れる…自らの力を誇り、物、金に跪き、欲にまかせてやりたい放題…。神から離れ、神をけがし、愛の冷えた荒涼とした霊的砂漠地帯として見えたのです。物質的に豊かであっても、それは本当の意味での豊かさではないのです。本当の意味で豊かと言えるのは、神様の近くにいて、親しく向かい合うことです。そのもっとも基本となるのが礼拝であり、祈りです。そこから力が与えられ、愛が与えられ、必要なものすべてが与えられるのです。そして神様から与えられたものを分かち合っていくとき、荒野に川が流れ、泉が湧き、花が咲くように、私たちの内側が満たされていき、外側へ溢れ出てきます。
  • 結び…自らの力を誇ることなく、創造の神様に近づき、向かい合い、祈り、礼拝する皆さんであるよう、祈ります。

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