Posted on 11/19/2017 at 19:59, by matsumoto

主日礼拝メッセージ要約『友によって研がれる』(2017.11.19)

 

鉄は鉄によってとがれ、人はその友によってとがれる。(箴言27章17節)

  • はじめに…昨日は、私の青年時代からの友人の結婚式でした。司式の牧師がメッセージの最初にユーモアを交えて「お待たせしました」というのが皆さんの実感では?と語られたように、若いとは言えない年齢でした。式に集まった人たちの多くは「まだか、まだか」と気をもんでいたことと思います。あるいは「まさか!?」と思った方もいたかも知れません。会場となった教会は驚きと喜びとで満ちていました。
  • 顔…出席者の人数は、目測でざっと百人は超えていました。懐かしい顔ぶれが幾人か見られました。その中で「松元さーん」とか、「おお、百年振りのような感じだね。元気だった?」なとど声をかけて近寄って来てくれる友がありました。その様子を観て家内が「感動した」と感慨深げに言いました。それらの友は、私の青年時代の未熟さを知っていつつも、理解し受け入れて笑顔で声をかけてくれたからです。(多くの人が去って行ったにもかからず)
  • 鉄は鉄によって研がれる…今日のみことばは、“友によって研がれる(磨かれる)”ということがテーマですが、先ほどの懐かしい顔の中で、最初に「松元さーん」と声をかけてくれたのは、Sさんご夫妻。Sさんは私が自営業をしていたときの親会社の現場スタッフでした。自動販売機に使用する“電磁ソレノイド”の研磨を担当していました。まさに鉄を鉄で研いでいました。当時Sさんも人生についていろいろ悩み、模索していた訳ですが、私が納品する度にお互い顔を合わせ、話をし、その後、イエス様を救い主として心に迎えたのです(仏教で言うところの“折伏”ということはしておらず、ご自身で決心されました)。私にとって生涯、忘れることのできない貴重な友のうちの一人です。
  • 人は友によって研がれる…「友」と訳されている語は、原語を直訳すると「賛同、支援、励ましを表わす顔」となります。また、羊飼い、牧者を表わす語でもあります。ですから“友”というのは、私たちを“友”と呼んでくださる(ヨハネ15章15節)イエス様の表情、イエス様の振る舞いで他者に接する者ということができます。この友なるイエス様のみこころを受けた表情、振る舞いによって、私たちは互いに磨かれ、鏡のように顔が内側から輝くようになるのです。詩篇34篇5節「彼らが主を仰ぎ見ると、彼らは(光が注がれ、川面がきらめくように)輝いた」
  • 結び…主イエス様の隣人に接する表情と振る舞いによって、互いに励まし、賛意を表し、支援し合い、磨かれて内側から輝く一週間であるよう、祈ります。

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