Posted on 02/04/2018 at 15:21, by matsumoto

主日礼拝メッセージ要約『受肉(人となったキリスト)』(イエス・キリストの生涯 その4)(2018.1.28)

 

ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。私たちはこの方の栄光を見た。父のみもとから来られたひとり子としての栄光である。この方は恵みとまことに満ちておられた◆ ヨハネはこの方について証言し、叫んで言った。「『私のあとから来る方は、私にまさる方である。私より先におられたからである。』と私が言ったのは、この方のことです。」◆ 私たちはみな、この方の満ち満ちた豊かさの中から、恵みの上にさらに恵みを受けたのである◆ というのは、律法はモーセによって与えられ、恵みとまことはイエス・キリストによって実現したからである◆ いまだかつて神を見た者はいない。父のふところにおられるひとり子の神が、神を説き明かされたのである。(ヨハネ福音書1章14-18節)

  • はじめに…最近、わが家ではなぜか映画(DVD)ブームで、先週も『トイレット』(監督・荻上直子)を観ました。ブームのはじまりは『テルマエ・ロマエ(ローマ公衆浴場)』。そして今回はトイレ。お風呂もトイレも人の暮らしに密接に関わるものです。生活の質を支える二本柱と言っても良いでしょう。
  • ことば(ロゴス)の2重の性質…ヨハネ福音書1章1節で「初めに、ことばがあった」と記され、世界(宇宙)の創造以前に、すでに“ことば”が存在していたことが記されています。そして14節では「ことばは人となって、私たちの間に住まわれた」と記されています。1節は“ことば”の先在(永遠性・神性)の真理が明らかにされ、14節では“ことば”の受肉(歴史性・人間性)の真実が明らかにされています。これは神が人に変化した、ということではなく、神性に、完全な人間性が付け加えられた(着せられた)ということです。
  • 住まわれた…そしてその“ことば”が「住まわれた」、そう続けられています。この「住まわれた」というのは、「幕屋を張られた」という意味です。ヘブル語の“シャカイナ”(臨在)と関連することばです。イスラエルの民は、エジプトを出て、荒野を旅しました。そのとき、宿営の中央に幕屋を置き、そこに主が臨在しました。同様に、私たちの歩む人生の荒野のなかに主イエス様が幕屋を着て、臨在されたのです。
  • 恵みの上にさらに恵み…ことばが人となった“受肉”のできごとは、とてつもなく偉大な、いまだかつて人類が一度も経験したことのない出来事なのです。そのことを新改訳では「恵みの上にさらに恵み」と訳しています。原語のギリシア語は“恵みに反して(アンチ)恵み”と表現しています。
  • 結び…イエス様が共におられる恵みを日々実感しながら歩める幸いを感謝します。

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