Posted on 02/16/2014 at 08:13, by matsumoto

主日礼拝メッセージ要約『奉仕と礼拝―信仰者の生き様』(信仰シリーズその8)(2014.2.16)

そして神は、「われわれに似るように、われわれのかたちに、人を造ろう。そして彼らに、海の魚、空の鳥、家畜、地のすべてのもの、地をはうすべてのものを支配させよう。」と仰せられた。

(創世記1章26節)

■    はじめに…新しい職場、デイサービスの介護職として働き出して2週間。30人ほどの利用者さんのお迎え、体操、コミュニケーション、見守り、給仕、入浴、レクリエーションと、目が回る忙しさ。他のスタッフの足を引っ張らないようにするのが精一杯(汗)

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■    レクリエーション…主は、「われわれに似るように、われわれのかたちに」人を創造(クリエイション)されました。“わたし”ではなく“われわれ”と複数形になっていることから、これは父、子、聖霊の三位一体を現しています。簡潔に言えば、「愛の関係」と言ってよいでしょう(ヨハネ14章23節参照)。レクリエーションはre + creationですから再創造です。単なる娯楽ではなく、とても霊的な事柄です。エデンの園における人間性の回復です。父なる神は、人間の再創造のためにイエス様を送り、聖霊様を遣わされたのです。

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■    奉仕と礼拝…エデンの園における人間性とは、園における愛の秩序を維持する働きです。すなわち神のしもべとしてサービスすること、隣人に対する奉仕と主への礼拝です。

■    結び…主よって一新された週、皆さんお一人ひとり、主から遣わされるところで奉仕と礼拝の働きをまっとうされるよう、祝福して祈ります。

Posted on 02/09/2014 at 12:23, by matsumoto

主日礼拝メッセージ要約『競争から共生へ』(信仰シリーズその7)(2014.2.9)

もし一つの部分が苦しめば、すべての部分がともに苦しみ、もし一つの部分が尊ばれれば、すべての部分がともに喜ぶのです。(Ⅰコリント12章26節) cheap online female cialis order cialis no prescription buy cialis online canada

■    はじめに…『ウサギとカメ』の物語はご存知でしょう。足の速いウサギと足の遅いカメが競走をして、最終的にはカメが勝利するお話ですね。自分の力を過信して思い上がり、油断をすると物事を逸してしまう。 また、能力が弱く、歩みが遅くとも、脇道にそれず、着実に真っ直ぐ進む事で、最終的に大きな成果を得ることができることを教訓にしたイソップ物語のひとつ。この続編を友人が紹介してくれました。

■    ウサギとカメ続編…続編その1。もう一度競争。ウサギは全速力で走り抜き、一気にゴール。続編その2。負けたカメは別のルートを設定して再び競争。ゴール直前に川が横切っていて、ウサギが立ち往生。その間にカメは泳いでゴール。続編その3。まずウサギがカメを背負って全速力で川の前まで。次はカメがウサギを背負って川を横断。再びウサギがカメを背負ってゴール。勝ち負け(弱肉強食)の世界観で生きることから、お互いの能力(賜物)を活かして、ともに喜びともに生きる世界観へ。

■    御霊の現れ…肉なる人は、自分の満足、自分の利益を第一に考え、自分の能力を活用して行動します。しかし霊的な人は、他者の利益を心がけて自分に与えられた能力を最大限活用します(Ⅰコリント10章24節)。聖霊による感動が、私たちの魂に火をつけ、他者の有益のために行動する源となります。

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■    共生への挑戦…イエス様は「受けるよりも与えるほうが幸い」(使徒20章35節)とおっしゃいました。“幸い”の意味は“神様からの力があります”という意味です。またマザー・テレサは「あなたの中の最良のものを世に与え続けなさい/けり返されるかもしれません/気にすることなく、 最良のものを与え続けなさい」と語りました。与えられたものを次の人にパスするとき、そこに神の力が働くことを信じて下さい。こうも言っています。「神様は私たちに成功してほしいなんて思っていません/ただ挑戦することを望んでいるだけよ」

■    結び… buy dapoxetine australia. men’s health. stop smoking, online drug shop, anti- allergic. 新しい週、競争に勝つことよりも、皆さんに与えられている聖霊の賜物を用いて、隣人の有益を計り、良きものを与えることでともに喜ぶ歩みとなりますよう、祝福して祈ります。

Posted on 02/02/2014 at 07:01, by matsumoto

主日礼拝メッセージ要約『世に勝つ希望の信仰』(信仰シリーズその6)

信仰は望んでいる事がらを保証し、目に見えないものを確信させるものです。(ヘブル11章1節)

■    はじめに…「わたしの願い」/わたしはしゃべれない歩けない/口がうまくうごかない/手も足も自分の思ったとおりうごいてくれない/一番つらいのはしゃべれないこと/言いたいことは自分の中にたくさんある/でもうまく伝えることができない/先生やお母さんに文字盤を指でさしながら/ちょっとずつ文ができあがっていく感じ/自分の言いたかったことがやっと言葉になっていく/神様が1日だけ魔法をかけて/しゃべれるようにしてくれたら…/家族といっぱいおしゃべりしたい/学校から帰る車をおりてお母さんに/「ただいま!」って言う/「わたし、しゃべれるよ!」って言う/お母さんびっくりして腰をぬかすだろうな/お父さんとお兄ちゃんに電話して/「琴音だよ!早く、帰ってきて♪」って言う/2人ともとんで帰ってくるかな/家族みんながそろったらみんなでゲームをしながらおしゃべりしたい/お母さんだけはゲームがへたやから負けるやろうな/「まあ、まあ、元気出して」ってわたしが言う/魔法がとける前に/家族みんなに/「おやすみ」って言う/それでじゅうぶん

■    不自由さの中で… indian viagra tablets names, trusted pharmacy cpm, canadian on line pharmcay hydroxyzine. buy fluoxetine online no prescription- india finpecia price? これは産経新聞夕刊1面の「夕焼けエッセー」に掲載された、事故の後遺症で肢体不自由となり言葉も失った小学6年生、森琴音ちゃんの詩です。私たちの身近なところにも不慮の事故や病気、生まれた境遇で、ほんのささやかな自由さえない生活を送っていらっしゃる方があります。聖書の中にもそのような人々が数多く描かれています。足の不自由な人、目の不自由な人、悪霊に憑かれた人、貧しい人…。

dec 21, 2014 – uk drug buy dapoxetine online buy priligy australia common pills online dapoxetine uk pill generic priligy buy priligy treat premature  ■    共に生き、死なれ、復活された主…イエス様は、徹底して身体的、精神的、社会的な不自由さの中で生きている人々に寄り添って生きられました。それらの人々の痛み、苦しみ、悲しみ、病を自らのこととして生きられました。生きられただけでなく、そのために十字架を負って死なれました。しかしそれで終わりではなく復活されました。

■    信仰…この主イエス様が、今も私たちを大切にしてくださっていることに信頼すること、霊的にイエス様とつながっている信仰が、私たちに与えられています。

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■    結び…新しい週、1日だけの魔法(奇跡)にとどまらず、復活、永遠のいのちを約束してくださっている主イエス様からの希望を胸に抱いて生きられますよう、祝福して祈ります。

Posted on 01/26/2014 at 08:33, by matsumoto

主日礼拝メッセージ要約『クリスチャンのセルフエフィカシー』(信仰シリーズその5)(2014.1.26)

神は、どのような苦しみのときにも、私たちを慰めてくださいます。こうして、私たちも、自分自身が神から受ける慰めによって、どのような苦しみの中にいる人をも慰めることができるのです。

(Ⅱコリント1章4節)

■    はじめに…2月から新しい職場(デイサービス)で働くことになったと先週お話しました。その職場は、私が保育園に行く年になるまで住んでいた場所にあります。言ってみれば私の人生の出発地点な訳です。人生の折り返し点(百歳までいのちがあればの話ですが…)の年齢になって、再び同じ場所から新しいスタートを始められるのは何かしら主の取り計らいを感じます。

■    自己効力感…人は、何かしら行動を起こそうとする際、自己効力感(セルフエフィカシー)というフィルターを通して「出来そうかな?」を判断します。今、座っている椅子から立ち上がるといったことから、人生を賭けた決断に至るまでそうです。

■    信仰…とかく私たちは、出来ないことを数え上げがちです。あるいは「~せねばならない」というような強迫観念を持ったりしがちです。そのような“誤った信念”を持つことによって負の渦巻きに陥ってしまいます。そのように世の荒波に翻弄(ほんろう)される私たちを顧みて、主なる神様は“みことば”によって人生を導いて下さいます。主のみことばによって判断し、聖霊の導きによって行動する“健全な信仰”を、主は私たちに与えて下さっています。みことばによって自己効力感は高められ、モチベーションが保たれます。

■    全能の主…今日のテキストにあるように、みことばによって、私たちは苦しみの中にいる人を慰めることが出来ることを確信します。また、みことばによって、共に分かち合うことが出来ることも確信します(Ⅱコリント8章1節)。このように私たちが“出来る”と確信するのは、主が、私たちに先立って恵みを与えることができる方(Ⅱコリント9章8節)であり、すべてを成し遂げて下さる方(詩篇138篇8節)だからです。

■    結び…新しく始まる一週間、皆さん一人ひとり、すべてを成し遂げて下さる主のみことばによって力を受け、それぞに与えられた人生の課題に前向きにチャレンジされるよう、祝福して祈ります。皆さんの人生は、決して失望に終わることはありません。

Posted on 01/19/2014 at 19:18, by matsumoto

『新しく生まれる』(信仰シリーズその4)(2014.1.19)

イエスは答えて言われた。「まことに、まことに、あなたに告げます。人は、新しく生まれなければ、神の国を見ることはできません。」(ヨハネ3章3節)

■    はじめに…先週の夢の話です。私は合宿最終日の礼拝のメッセージの担当になっていたのですが、帰り支度に手間取って、礼拝開始時間に間に合わず、しかもメッセージの準備も出来ないまま、遅れて礼拝堂に入って行きました。幸いにまだ礼拝は始まっておらず、皆が何かアンケート調査のようなことをしていました。メッセージには間に合ったのですが、何を語ればよいのか皆目見当もつかないまま講壇に立ったのでした。

■    新しく生まれる…それはまさに何も持たない裸の赤ん坊と同じでした。自分の力ではどうすることも出来ない状態です。ただ、お母さんに向かって泣き声をあげる赤ん坊のように、天を見上げて主にすべてを委ねるしかありません。そこで示されたのが今日のテキストのヨハネ3章3節でした。そして“空”というインスピレーションでした。それはまた、“主の満たし”のメッセージでした。この満たすためのの空間(あるいは器)を主が創造された、このことを確信しました。自力で空しさを埋めるのではなく、主の祝福で満たすこと、それが私たちの信仰生活です。

■    水と霊…創世記の最初に「地は形がなく、何もなかった」(創世記1章2節)と記されてあります。しかし闇の下に、つまり最も低いところに「水」と「神の霊」がありました。ヨハネ福音書3章でニコデモに対してイエス様は「水と霊によって生まれなければ(…)」と語っています。つまり闇に覆われているような低いところから生き始めよ、そうイエス様は私たちに語りかけておられるのでしょう。そこが私たちの信仰生活の始まりの場所だと。

■    闇に光…闇があるところに光があり、低いところに天国(神の国)があり、いのちと祝福があります。そこに父なる神様は御子イエス様、御言葉なるイエス様を遣わされました。

■    結び…私たちの人生、一寸先は闇です。しかしそこに主イエス様が来て下さり、御言葉で照らして下さり、将来と希望、恵みと平安で満たして下さいます。

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