Posted on 02/09/2020 at 15:55, by matsumoto

主日礼拝メッセージ要約『人生を変える礼拝』(イエス・キリストの生涯 その95)(2020.2.9)

人々は生き返った青年を家に連れて行き、ひとかたならず慰められた(使徒の働き20章12節)

  • はじめに…先週の7日(金)は私の誕生日でした。東京オリンピックの年に生まれましたから56歳になります。誕生日の夜に、久しぶりに私が神学生時代に通っていた教会で出会った友人が訪ねて来てくれました。イエス様の誕生日プレゼントでした。仕事帰りでホコリまみれの友人から、仕事や家庭、健康状態の話を聞くと、苦労や不安が窺えました。
  • ユテコ…今日のテキストは、トロアスでの集会でパウロが長い説教をしていたところ、窓に腰かけてその説教を聴いている間に一人の青年ユテコが深い眠りに落ち、誤って三階から外へ転落してしまったという出来事です。まさに“寝落ち”してしまったユテコ。しかし、不幸中の幸い。死んでしまったのに生き返ったのでした。「ユテコ」という名前は日本語に訳せば“幸太郎”といったところでしょうか。“幸い”という意味の名前でした。まさしく名を体現した訳です。
  • 人生を変える礼拝…牧師の説教を聞いて睡魔に襲われる、ということは誰しも何度か経験があるのではないでしょうか? 牧師側の立場から見れば「いのちのみことばを語っているのに。何と不謹慎な」とか「私の語る説教は、彼のこころに響かない…。牧師失格」とか、腹立たしさや失望を感じてしまうものです。どちらの側にしても、そんな苦い礼拝の経験を積み重ねながら、ある礼拝で人生の転換点が訪れ、人生が変えられます。ユテコにとっては今日のテキストにある真夜中の礼拝が、まさに人生を変える礼拝になったことでしょう。人間的な礼拝に失敗したとき、主の栄光が現れる礼拝になる、そういう逆説が起こります。
  • 結び…今日も、どこかの礼拝で、誰かの人生の大いなる転換点になる礼拝が捧げられていることでしょう。今日、疲れているあなたを、失意の中にあるあなたを、礼拝に行けないあなたを、主イエス様が御手で抱きかかえてくださっています。

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