Posted on 07/05/2020 at 18:21, by matsumoto

主日礼拝メッセージ要約『キリスト体験の機会~礼拝』(イエス・キリストの生涯 その115)(2020.7.5)

しかし、私たちの国籍は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主として来られるのを私たちは待ち望んでいます。(ピリピ人への手紙3章20節)

  • はじめに…先週、私の勤めるデイサービスで利用者さんが転倒。一日の活動を終え、荷物をまとめてフロアから玄関先へ移動するときでした。大腿骨転子部骨折でした。通常ですと手術になるところですが、病院受診の結果、肺がんの進行が見られ、そのがんが骨に転移して骨が溶けている状態で「骨転移腫瘍」(ステージⅣ)と診断され、手術ではなく、今後どのように看取るかということになりました。ご本人、ご家族に対して介護職として誠実に責任を果たすことはもちろんですが、牧会者としてどこまで関われるのか逡巡し、力の限界に打ちひしがれます。
  • 国籍は天に…キリスト者にしても、そうでなくても、この世の国に属しています。同様に、キリスト者も、そうでない人も、神様に創造され、神様に愛されている神の子として天の国にも属している、そう信じています。パウロはユダヤ人と異邦人と区別はしませんでした。ユダヤ人と異邦人が一つになることが教会だとしました。それゆえ、異邦人の救いのために自分は召されている、そう確信していました。目に見える部分ではなく、見えない霊的な部分に心を向けました。目に見えるものは“損”“ちりあくた”だと豪語しています。それは「キリスト・イエスを知っている(=体験している)ことのすばらしさゆえ」(ピリピ3章8節)だと。
  • 待ち望む…キリストを体験する機会として、私たちには礼拝が与えられています。形式的な礼拝ではなく、神の御霊による礼拝(ピリピ3章3節)、霊とまとこの礼拝(ヨハネ4章23節)です。私たちは自分で自分を救うことはできません。天におられる救い主イエス様が抱き上げてくださることによって、罪多き、不完全な私たちは御国にふさわしい者としていただけます。その確信を礼拝において、主イエス様ご自身が与えてくださいます。今、痛んでいる方々、悩んでいる方々、苦しんでいる方々、特に弱くさせられている方々に救い主なるイエス様が近づいて、まなざしを向け、御声をかけてくださいます。
  • 結び…今日も礼拝に導いてくださった主イエス様に感謝します。人間的なものから解き放ち、霊とまことの礼拝を捧げる機会を与えてくださり感謝します。

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