Posted on 12/01/2024 at 08:14, by matsumoto
「彼は恐れおののいて、また言った。「『この場所は、なんとおそれおおいことだろう。こここそ神の家にほかならない。ここは天の門だ。』」(創世記28章17節)
◆はじめに…昨日、熊本県の水前寺公園へ紅葉を見に出かけました。やはり温暖化の影響から、まだ色づき始めたくらいでした。けれども思いがけず、無料で観光ガイドをして頂き、『古今伝授の間』と呼ばれる池の湖畔に立つ萱葺の家の脇に、細川ガラシャ(ラテン語で「神の恵み」)が使ったであろう手水鉢に出会うことができたことは、まさに恵みでした。「本能寺の変」を起こした明智光秀の娘だったガラシャは、謀反人の娘ということで身を潜めて生きる他、術がなくなり幽閉され、孤独で寂しい時を過ごさざるを得ませんでした。その時に侍女の伝えたキリスト教のメッセージが生きる糧となったのでした。
◆孤独な旅路にて…今日は『イエス様との予期せぬ出会い』と題して、まさに孤独と困難なただ中でこそ、祈りに導かれ、そこにイエス様が共におられることを体験し、力が湧いてくることを、みことばを通して共に聞きたいと願っています。さて、ヤコブは、祝福を横取りされたと怒る兄エサウから命を狙われ、両親には彼を守る術はなく、結果、遠く離れた母リベカの故郷へと送り出されたのです。ヤコブは何も持っておらず、間違いなく大きな苦難に陥っていました。家から遠く離れて、一人で、彼は最も無防備な状態にありました。日が沈み、夜になり、明日の生命さえ危ぶまれる孤独な旅の途上でヤコブは祈りました。横になって眠り、それから天使たちが梯子を上り下りする荘厳な幻を見ました。そして主は、ヤコブに財産や約束の土地、そして子孫と大いなる民としての未来を約束し、同時に主は、彼とともに歩き、人生の旅路において彼を守ると約束しました。
◆天の門…イエス様は言われました。「まことに、まことに、あなたがたに告げます。天が開けて、神の御使いたちが人の子の上を上り下りするのを、あなたがたはいまに見ます。」(ヨハネ1章51節)と。私たちにとっては、イエス様ご自身が私たちの祈りに対する主の答えです。幽閉生活で孤独なガラシャを侍女が神父と教会につないだように、イエス様が、私たちを天国につなぐ梯子であり、天の門なるイエス様を通して、私たちは生ける父なる神とつながることができます。
◆予期せぬ出会い…一私たちは、神聖な場所や馴染みのある場所だけでなく、夜一人で(人生の)旅をしているときにもイエス様を見出します。主は私たちの手を握り、私たちを守り、私たちが倒れたときには私たちを抱き起し、私たちが失敗したときには私たちを赦し、愛によって私たちの霊、たましい、からだの傷を癒します。祈りの答えは、そのようなイエス様との“予期せぬ出会い”です。
◆結び…イエス様と予期せぬ出会いによって、枯渇している私たちの心の奥底から少しずつ泉が湧き、いのちが満たされていくことを感謝します。
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