Posted on 05/06/2020 at 19:16, by matsumoto

歴史を動かすもの(『富田和久著作集第四巻 p126-p131』より抜粋)

 イギリスの著名な歴史学者でアーノルド・トインビーという人がおりますが、年頭にあたって書いた論文の中でこういうことを言っている。

 大人にしろ、青年にしろ、人間は何のために生きるべきなのか。人間の役に立つことをするために、というのはその一つだが私はそのほかに別の目的があると思う。私は宇宙の現象の中およびその背後にある究極的な精神の実在、それが如何なるものであろうとも、そういう究極的な精神の実在に自分を調和させるように一人一人が努力しなければならないと信じている。言いかえるならば私は人間には宗教的なものが必要であると信じている。

 そう申しております。これが歴史学を窮めた学者の見解であります。トインビーは伝統的教派的な意味における信者ではないようですから、彼がこの説を唱えているのは歴史学者としての学問的結論といってよろしいかと思います。

 私は勿論、歴史学の専門家ではありません。しかし、かつて旧約聖書の創世記をはじめて通読した時に、今、トインビーが述べていたのと極めて近い感想を抱いたことを思い起こします。創世記には幾世代にもわたる民族の歴史が書かれておりますが、それは単なる事実の羅列ではなく、そこに一貫して流れる絶対者の意志というものが書かれています。すなわち、絶対者の意志によって、人間の一つの世代から他の世代へと時代が移って行っている。そして、どんなに強い人間でも、絶対者の意志にそわなかった者は歴史における単なるフラクチュエーション(動揺、ふらつき)として、枝葉として、後代に残る本流からは外れていっている。どんなに弱い者であっても、神の欲したもうたその流れに沿うておる者は歴史の本流としてたてられていっている。そういう感想を持ちました。

 そう思って読んでみますと、聖書というのは大変古い書物でありますが、我々が今問題にしてきたようなこと、また歴史学が基本的な問題として提起している事柄に関していえば、そういう問題をきわめて明確に意識し、これに対して思い切った答を与えている書物であることが分かります。

 歴史学者が宇宙的な意志、絶対的な意志と呼んだものを、聖書においては「唯一の真(まこと)の神」という言葉で呼んでいます。歴史の底に絶対者の意志が一貫性を持って流れているということを、聖書においては歴史は神の経綸の展開である、そういう言葉で表現しております。「経綸」という言葉の原語はオイコノミアですが、今日の言葉でいえばエコノミー、経済とか、経営とか、家の仕末とかそういう意味あいの言葉であります。すなわち、歴史の底には神の計画と予定が一本貫いて流れているというのが聖書の考え方であります。

 人間の行動や自然的な出来事はきわめて多様性に満ちておりますが、長い目で見ると、事の成り行きは瞬間的な出来事や目先の意図とは必ずしも一致しないところの「神の意志」というものが歴史を貫いている。しからば神の意志とは何であるか。神の意志の内容は何であるか。歴史の経綸の目的は何であるか。これは形式論を越えた重大問題でありますが、聖書にしたがえば、人間にとって必ずしも理解し難い事柄ではありません。それは、罪に囚われた人間を救い主イエスを信ずるという道よって解放し、救うという事実から出発しています。しかし、救いは個々の人間にとどまるのではありません。そこがすべてのことの出発点ではありますが、さらに進んで、救われた人間の営む歴史の究極的目標として、「神の国」という考えが聖書にあらわれております。信仰によって救われた人々が相寄って「神の国」という理想の社会を営む、そしてこの「神の国」を完成するということが聖書における神の経綸の最終目的であります。そういう明確な恩恵の意図を持って神は歴史を導いておられる。

 歴史の段階的発展ということを申しましたけれども、これに関する言葉として聖書には「クリシス(審き)」という言葉があります。今日でもクライシス(危機)という言葉になって残っております。歴史を区分する時代、それをアイオーン(世代)と申しますが、古い時代から新しい時代に移っていく際に、必ずしも漸次的連続的に移行するわけではなく、きびしい選別が短時間に行われることがある。不要な古い要素が捨てられて新しいものが急激に現れる、激変の起こる場合があります。これを聖書では「審き」とよんでいるのです。

 神が歴史を導く目的は最後の審判をへて神の国を完成することにありますが、神はその終極的な目標の実現に対して決してせっかちではあり給わない。忍耐を持って歴史を導いておられます。それ故に、歴史には小規模の上り下り、言いかえれば小規模の「審き」ということが繰り返し現れてくる。そういう意味で時代が画されていくのであります。

 こうして、歴史には大きな波が出現するのですが、その無気味な大変動に直面した時、小さい人間はしばしばどうしていいか分からないということになります。もし、頼るべきものは自己の存在以外にないということであれば、あるいは一人よがりの楽観論によって人を欺く者があらわれたり、あるいは悲観的絶望的な自己激励と反抗に身を亡ぼす、というように右往左往する事態が発生するのであります。けれども、神を信ずる者、その恩恵と意志とを知って自らの心、自らの意志を神の意志に一致せしむる者にとって絶望ということはありません。たとえ歴史の展開が下り坂にあると判断されるような時点においても、彼は神の経綸を信じて立つことができます。立つことができるだけではありません。神は目覚めた人間をオイコノモス(家司)、すなわち、「歴史の経営をあずかる者」として選び、これに歴史進行の責任をお委ねになるのです。これが聖書の説くところの歴史観、歴史における人間の役割の概略であります。(矢内原忠雄記念講演 一九七〇年二月八日 京都会館別館。『おとずれ』45号 一九七〇年五月)

Posted on 06/01/2019 at 21:57, by matsumoto

神の力=シャーローム

第三イザヤ書 第3講(『富田和久著作集第三巻 p196-p201』より抜粋)

(…)第三イザヤのメッセージというのは、創造と平和と礼拝を軸とした新天地が出現するという、その完成の姿というものをわたしたちに最終的な形で示している。

 預言の歴史には非常に長い歴史があり、その間にひとつひとつ大事な概念といいますか、大事な思想というものを預言者が発見し、付け加えながら歩んできたわけでありますが、第三イザヤに至って、いわばそれらすべてのものをインテグレイトして、完成ということが書かれている。

 第二イザヤの時代が異教の地からエルサレムへの帰還であったとすれば、第三イザヤにおける帰還というのは、それは天、最終的な神の御国に対する信ずる者の帰還、天に帰ってゆくその帰還のすばらしさを謳っているというところにあります。

 歴史的な事情を詳しく話すことはできませんでしたけれども、第三イザヤは実は記述預言者の経歴の恐らく最後でありまして、第三イザヤを最後にして、新約イエスの出現まで記述預言者の姿は途絶えるわけであります。。それはユダヤ教の成立と史的事情などによって理解できるところでもありますが、そういう意味でも預言者の経緯というものの完成した姿を短い言葉に要約したものが、この「第三イザヤ書」であるというように考えることができます。

 時代は暗い時代でありまして、人によっては報復ということが現れているとか、いろいろ信仰が低調であって、第三イザヤはエピゴーネン(亜流)であるという、そういう批評がある意味成り立つようです。けれども長い間に、困難な時代に、彼の存在によって信仰が保たれた。神の望みが保たれて後代に伝わったのであって、彼の存在は貴重であると思われます。

 そういうことで、「第三イザヤ書」の全体が、大体において終わったわけです。けれども最初のイントロダクションで申しましたように、私が今度、「第三イザヤ書」を取り上げたことの中には、私たち自身が置かれた事態が必ずしもクリヤーカットでない、必ずしもフラットな状態ともいえない、非常にドロドロして困難な状態の中にあるということがありまして、これは第三イザヤの置かれた状態にある意味で似ているのではあるまいかと思いました。

 こじつけるわけにはいきませんけれども、ある意味では似た状態がある。日本が太平洋戦争において軍国的なリーダーシップの下に行動してきたわけですが、終戦ということになって、いわばユダヤにおける捕囚に近いことが起こりまして、指導者階級というのは瞬間的に取り除かれてしまったわけですね。そして長い捕囚の時代ということが文字通りあったとはいえません。しかし抑留された人たちもありまして、長い間かかって帰ってきたこともあるわけです。文字通り捕囚ということが国民的規模であったとはいえませんけれども、しかし日本を支配した指導的な思想が削り取られたということは事実でありまして、そのことの中から我々は日本をリードしていく思想としては、従来の思想では駄目なんだという、そういうことを身につまれさて学んだわけです。

 バビロン捕囚において、イスラエル人たちの思想が目に見える神殿中心の礼拝から内面化され、霊的になって、その視野が広がった。世界をも包括し得る信仰ということに視野が広がった。そういうこととある意味で対応する平和の思想というものは、国家主義を越えたものでありまして、世界を誘うに足るところの内面的な内容を持った思想であります。

 しかしながら、憲法が成立して五年経ちますと、朝鮮戦争というものが起こり、これは大国を慌てさせるような事態でありまして、情勢ががらりと変わってきたわけです。そのころから外国軍隊の駐留ということが、講和条約ができればなくなる一時的な形であると思っていたがそうではなくなり、安全保障条約というものができまして、このインフルエンス(影響)は見えないけれども、日本のうえに半分か全体か、どっかり載っかるようになってきた。そうなりますと防衛、武力ということにかかわったそういう統治方針というのが座っている中で、平和憲法というのはどうも座りが悪いわけです。憲法の平和思想ということを本当に心から受け入れた人々にとって、それは大きな思想的な飛躍、進歩であったはずです。けれどもその後、そういう思想を展開するためには、周囲の事情がどうも座りが悪い。それは武力の片棒をとにかく担うという条約を頭の上にしょっているからです。これはあたかも捕囚から帰った第二イザヤの影響を受けた人々が、サマリヤの支配力の風当たりを感じまして居心地が悪かったということと相当するような気がします。

 以来、朝鮮戦争を境にいたしまして、当分は平和論というものがおおっぴらに通用しておりましたが、十年経つうちに、平和のチャンピオンが世を去るという事態も起こりまして、後は後でどうにかなるだろうという声もありましたけれども、必ずしもそうではない。

 正義と平和というものがはっきり聞かれた時代は過ぎ去りまして、六十年代になりますと、正義という言葉の代わりに国益というような言葉が政治の表面に飛び出してくるようになる。平和という言葉もあまり聞かれなくて、生産性であるとか、産業、合理化というそういう面が出てきますし、それがしだいに軍需というようなことに繋がっていきます。そういうことによって理想の平和像、憲法というものが非常に居心地が悪くなってくるというこことに伴って、国を超えた精神的紐帯も失われまして、個人個人それぞれがいいかげんなことをするという風潮がだんだんに出てくる。そうしますと、一方では平和を唱えながら非常に過激な、一時的な行動にはしる者も現れるし、他方では、そういうバラバラの個人では困るから、やはり国家というものを強化しなければならないという思想も現れてきまして、まことに現在の状態は闇を行く思いがします。

 前にもちょっと申しましたけれども、八月十五日という日本にとって断食の日に当たって、いろいろなことが表面に出ておりますが、大新聞がネームヴァリューのある評論家の言葉を二面に載せて、八月十五日に「平和国家の行方を思う」という記事がでるわけですけれども、それを読んで見ますと、戦争ということに対する反省ということを一言も書いていない。六十年代から経済的な復興ということで国が興ったけれども、石油ショック以来七十年代にかけては国ということが重きをなさなくなって、世界的にも受け入れられなくなって、もはや個人の時代であるというようなことが書いてあるかと思いますと、世界の中で寄付金を出したから神輿を担がないということはできないであろう。現在の世の中で核を持たずに世界の政治に対する発言権があろうとは思われない、とそう書いてあるんですね。

 難しいことを言わないで適当に防衛の努力をして、世界の仲間に入っていこうじゃないか。そういうことを大新聞にたった一人、紙面を与えられた売れっ子の評論家が述べているわけでして、これでいいんだろうか、これが断食の日の姿であろうかと思うのは私一人ではないと思います。

 そういう中にあって、私たちが何を拠り所とし、何を目当てにして生きていくかということは非常に大きな問題であります。しかし、「第三イザヤ書」を読んでおりますと、それに対する暗示といいますか、そういうものが数多く含まれているように思います。

 私も何度か申しましたけれども、こういう時代に過激派的な、これに対する一時的な燃え上がりということではなくて、波長の長い耐久、内面的に持ちこたえるということが必要であろう。世に勝つという言葉がヨハネの学びに出てまいりましたけれども、世に勝つというのは、即戦、即決で勝利の狼煙を挙げる、そういうことなのだろうかと、私はそれを聞きながら思いました。世に勝つというのは、実は目に見えない形での世の圧迫に負けないで、じっとこらえて真理を守っている、そういうことも世に勝つということの姿ではあるまいか、そう思いました。

 力の論理というようなことが問題になりましたけれども、力の論理を単に軽蔑するというだけでは足りないと思います。力の論理ということで感話会がやや混乱しましたのは、力の論理というのは、力はいけないと言っているのか、というそういう誤解があるのですね。しかしそうではなくて、論理をすりかえて力だけで始末しよう、そういうことを言っているわけでありまして、そういう理不尽な考えに対しては、これを圧倒するものが神の力である。神の力というものなしに、力の論理に耐えていくことはできないと思います。

 そういう意味で、正しいことのためにこれを展開し、活気をもってこれを守っていくところの力、平和という言葉がシャーロームというヘブル語が対応しますけれども、これは決して事なしという平穏無事という言葉ではなくて、活気にあふれた、命にあふれた盛んな状態を表わす言葉であります。そういう神に基づく力、神に基づく生命力というものを抱くならば、地上の人間の力の論理というようなことに圧倒されることはない。たとい一時、そのようなことがまかり通るように見えましても、長い息でこれに耐えていく力というのは神さまがこれを恵んでくださる。そういうことが第三イザヤの私たちに教えている事柄ではあるまいかと思います。いわば力の論理に対して、力というものは肉体の腕力なんだからと言って、これを笑おうとするのがグノーシスの立場であるとすれば、力を圧倒するには神の力をもってしなければならないとするのがヨハネの信仰の立場ではあるまいかと、そういう私なりの感想を持った次第であります。(一九八三年八月二十二日)

Posted on 06/01/2019 at 21:00, by matsumoto

令和に生きる者として

わたしがあなたに与える命は平/あなたを支配するものは恵みの業。(イザヤ書60章17節/新共同訳)

令和の時代が、創造主との平和、隣人との平和、自然との平和を造る時代となることを心より祈ります。

以下、学者(カオス学の先駆け)であり、信仰者(コスモスの希求者)であった富田和久氏の言葉

我らの平和(『富田和久著作集第四巻』p293-294より抜粋)

 (…)私どもがこういうことを申しますと、心無しの皮肉屋がおりまして、「過去の戦争中、兵役拒否もできなかった人間が、今、平和を主張して何になるか」――そういう声を浴びせる者があります。
 平和を求めるということに資格が必要であるのかどうか、私は知りません。すでに申しましたように、私自身は戦争の子でありまして、十五年戦争の戦禍を経験し、その中から、剣を逃れて残された者であります。それはそのおとりですが、他でもない、終戦時に経験した身の置き所のない思いと悔恨によりまして、まさしくそのことによって、神との間に真の平和を得たのであります。この体験を私から奪うものはありません。ですから恵みによって残された残る生涯をもって、私が諸君に伝えることのできるものは、この内面的経験を除いてはないのであります。私の生命は、戦時中に失われていても不思議ではなかったものでありまして、今後どうなってもよいと思う。しかし、神との間に平和を得た、この体験だけは、いかにしても諸君に伝えたいと願うのであります。
 同様のことは、問題を国家の段階に移して、私たちの祖国日本の立場に立っても言えるのではないではないだろうか。誰しも祖国の盛隆を祈らぬ者はありません。しかし世界の歴史をひもとくならば、無限に生き延びた国というものがありますか。国家の寿命は個人の生涯に比べれば、長いものではありますが、所詮限りがあるのではないか。歴史の舞台から去っていくものではないか。もしそういうことであるならば、国の利益であるとか、国の防衛であるとか、そういうことを至上のことと考えて、国際社会の孤児となるのではなく、歴史上初めて核爆弾を経験した民族として、国の命運をかけて非武装と平和の原理を世界に宣べ伝えることこそ、日本でなくては果しえない民族的使命ではないか。これが今日も変わらず生きているところの矢内原忠雄の精神であります。聖書に照らされ、神の前に立つことを知った民族の使命であると思うのであります。
 本日、ここにお集まりの皆さんも、諸君自らの生涯と、日本国の存在を賭けて、あるいはこれを投じて、今日の状況のものとにおいて、いかなる使命を果たすべきか、静かに考えていただきたいと思うのであります。(矢内原忠雄20周年記念講演 一九八一年 京都会館。『おとずれ』70号 一九八二年一月)

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