Posted on 10/04/2026 at 08:30, by matsumoto
《聖書箇所》申命記33:1-34:12,創世記1:1-2:3/ヨシュア記1:1-18/ヨハネ1:1-18,マタイ5:17-19,ヘブル8:1-13
《ギホンの泉》~分かち合いの呼び水~
『生ける愛のトーラーなるイエス様』
今日、私たちは「シムハット・トーラー」、すなわち 律法の喜び を覚えます。ユダヤの民はこの日に、トーラーの巻物を抱き、踊り、歌い、御言葉への喜びを身体いっぱいに表現します。
元英国総ラビ、ジョナサン・サックス師はこう語りました。「シムハット・トーラーは、ユダヤ人がすべてを失ったときに生まれた。しかし、彼らは決して喜ぶ能力を失わなかった。喜びの能力を破壊されない民は、それ自体が不滅である。」
トーラー朗読の最終巻・申命記を読み終えると、間を置かずに創世記へと戻り、再び一年の物語が始まります。
サックス師はこの循環についてこう言いました。「愛するものとの関係に終わりはない。終わりの瞬間こそが、新しい始まりである。」
創造の始まり ― 御言葉が世界を開いた
創世記の冒頭、主は 「光あれ」と語られました。世界は、御言葉によって始まりました。そしてその御言葉(ロゴス)は、キリストなるイエス様として私たちの間に住まわれました。ヨハネはこう記します。
「御言葉は人となり、私たちの間に住まわれた(=幕屋を張られた)」(ヨハネ1:14)
創造の言葉が、今や人となって私たちのただ中に来られたのです。
トーラーの成就 ― 石から心へ
イエス様は言われました。
「わたしは律法を廃するためではなく、成就するために来た。」(マタイ5:17)
かつて石の板に刻まれたトーラーは、大祭司イエス様の犠牲と聖霊の働きによって、今や 私たちの心と思いに刻まれるものとなりました。ヘブル書はこう語ります。
「わたしは彼らの心にわたしの律法を置き、彼らの思いにそれを書き記す。」(ヘブル8:10)
外側からの義務だった律法は、内側から湧き上がる 愛と喜びの応答へと変えられました。
8日目の約束 ― 生ける水の川が流れ出る
仮庵の祭りの終わり、すなわち 8日目(シェミニ・アツェレット) に、イエス様は大声で宣言されました。
「渇いている者は、わたしのもとに来て飲みなさい。わたしを信じる者の心の奥底から、生ける水の川が流れ出る。」(ヨハネ7:37–38)
トーラーの喜びの日に、イエス様は「生けるトーラー」として立ち、私たちの内側に泉を開かれました。
終わりが始まりとなる ― 新しい物語へ
トーラー朗読が終わる瞬間、創世記へと戻るように、父なる神、イエス様、そして聖霊様との物語には終わりがありません。イエス様という「生ける愛のトーラー」は、私たちの歩みの中で、今日も新しい章を開いてくださいます。終わりは、始まりです。閉じられるページは、次のページを開くためにあります。主の御言葉は、私たちのうちで生き続けます。
結び ― 生けるトーラーを喜ぶ神の子として
今日、私たちは喜びます。創造主の愛の御言葉そのものが人となって現れたイエス様を喜び、感謝します。
そして願います。今日から始まる新しい物語の第一歩を、イエス様と共に、そしてキリストにある兄弟姉妹と共に、勇気と希望のうちに踏み出すことができますように。(アーメン)
次回の聖書箇所は
ベレシート(はじめに) 創世記1:1-6:8/イザヤ42:5-43:10/ヨハネ1:1-18,コロサイ1:15-17,ヘブル11:1-3,②コリント4:6です。
〔日曜日の午後6時から約1時間、主日礼拝を行っています。お気軽にお越しください〕
Posted on 09/27/2026 at 21:41, by matsumoto
《聖書箇所》レビ記22:26-23:44,民数記29:12-16/①列王記8:2-21/ヨハネ7:37-38,1:14,黙示録7:9-17,21:1-4
《ギホンの泉》~分かち合いの呼び水~
『脆(もろ)さの中に住まわれる主 — 仮庵から永遠の都へ』
先週の25日(金)は『中秋の名月』でした。時同じく、日没から『仮庵の祭り』が始まっています。
『仮庵の祭り』(スコット)で主は、風に揺れる一時的な小屋(スッカー)で過ごすよう命じられました。元英国首席ラビのジョナサン・サックス師は「真の安心安全は堅固な城塞ではなく、私たちを包む主の臨在の内に存在する」と指摘します。信仰とは確実性を追うことではなく、不確実さの中で生きる勇気です。
かつて仮庵の祭りでは70頭の雄牛が捧げられましたが、これは主の恵みが全人類に向けられていることを象徴しています(レビ記23章、民数記29章)。
主の望みは、かつてソロモン神殿に主の栄光が満ちたように(①列王記8章)、今も、そして将来も「民の真ん中に住まう」ことです。
この約束はイエス様において最高潮を迎えます。ヨハネは「言葉は肉体となり、私たちの間に住まわれた(幕屋を張られた)」(ヨハネ1章14節)と語っています。イエス様は、受肉し、生身の身体という脆い「仮庵」を身にまとい、私たちの弱さに入り込んでくださいました。
そして祭りのクライマックス(8日目)で、イエス様は、ご自身こそが魂の渇きを癒やす「生ける水」の源であると宣言されます(ヨハネ7章37–38節)。
私たちの地上の歩みは、脆弱さや不安を伴う一時的な旅路です。しかし黙示録が示すように、やがてあらゆる民族が集い、主が永遠の幕屋を張ってすべての涙を拭い去る日が訪れます(黙示録7章、21章)。
脆(もろ)さや不確実な現状を過度に恐れず、イエス様の遣わされる生ける水(聖霊)を受けて、私たち一人ひとりに備えられている永遠の住まいの希望を抱いて一歩一歩、共に歩んで行きたいと願います。
次回の聖書箇所は
シムハットトーラー(律法の喜び) 申命記33:1-34:12,創世記1:1-2:3/ヨシュア記1:1-18/ヨハネ1:1-18,マタイ5:17-19,ヘブル8:1-13です。
〔日曜日の午後6時から約1時間、主日礼拝を行っています。お気軽にお越しください〕
Posted on 09/20/2026 at 21:09, by matsumoto
《聖書箇所》レビ16:1-34,民数記29:7-11/イザヤ52:13-53:12,57:14-58:14/
マタイ27:1-56,ヘブル9:11-28,10:1-18,ローマ3:21-26
《ギホンの泉》~分かち合いの呼び水~
『悔い改め=あなたはいつでもやり直せる』
ヨム・キプールとは?…ヨム・キプール(贖罪の日)はユダヤ教において一年で最も神聖な日であり、神と魂の本質に最も近づく日とされています。ユダヤ暦のティシュレイ月10日、今年2026年は、本日9月20日の日没から、21日の日没1時間後までの約25時間にあたり、その間は飲食を控え、体を洗ったりローションやクリームを使わず、革製の靴を履かず、車の運転を含む労働をせず、夫婦の営みを慎むべきとされます。ラビたちは、一日中シナゴーグで許しの祈りを捧げながら過ごします。
ヨム・キプールの起源…ヨム・キプールの起源は、旧約聖書の出エジプト記34章に基づいています。天地創造から2448年(紀元前1313年)、それまで430百年に渡ってエジプトで奴隷として使役していたユダヤの人々が出エジプトを果たしました(出エジプト記12章40節)。しかしそのわずか数カ月後、彼らは金の子牛像を崇拝するという罪を犯しました。モーセがシナイ山で神から十戒を受け取るのに40日。しかしその間、麓で待っていたユダヤの民はしびれを切らし金の子牛像を作ったのです。下山したモーセは、民が宴に興じ、金の子牛を拝んでいたのを目の当たりにし、十戒の石版を破壊してしまいました。そして再び主に会うために山に上ったモーセに主は、自身を「罪を赦す者」と宣言します。その後モーセが十戒の石板を携えてシナイ山を下りた日がティシュレイ月の10日で、ヨム・キプール(贖罪の日)として知られることになりました。(タルムード『ババ・バトラ(Bava Batra)』121a および 『タアニット(Taanit)』30b)
解放と再出発の日…元英国全体ユダヤ教首席ラビであるジョナサン・サックス師(1948–2020)は、「ヨム・キプールは単なる告白や許しの日ではなく、深い解放の日です。贖罪とは、私たちが再びやり直せることを意味します。私たちは過去や失敗の囚人ではありません。白紙の本が開かれ、神は私たちに新しい章を書くよう招いているのです」と語っています。
贖い主イエス様…私たちを罪から解放するために自らを贖いの代価として天の父なる神に差し出されたイエス様は、主と私たちの間を隔てる垂れ幕を引き裂いて、天の至聖所を開き、御手で包み込んで下さっておられます。
次回の聖書箇所は
スコット(仮庵の祭り) レビ16:1-34,民数記29:7-11/イザヤ52:13-53:12,57:14-58:14/マタイ27:1-56,ヘブル9:11-28,10:1-18,ローマ3:21-26です。
〔日曜日の午後6時から約1時間、主日礼拝を行っています。お気軽にお越しください〕
Posted on 09/13/2026 at 21:18, by matsumoto
《聖書箇所》創世記22:1-24/エレミヤ31:1-19/
マタイ24:30-31, ①コリント15:50-58,①テサロケ4:13-18,黙示録8:1-13
《ギホンの泉》~分かち合いの呼び水~
『角笛(ショファール)の響きと約束の成就』
◆はじめに…先週の11日(金)の日没からユダヤ暦での新年(ローシュハシャナー)を迎えました。日本でいうお正月。「明けましておめでとうございます」に相当する「シャナ・トヴァ」(良い一年となりますように)と、新年の挨拶を交わし、「お雑煮」に対して「リンゴの蜂蜜漬け」を食べます。また、ローシュ・ハシャナーはヨム・テルーア(吹き鳴らす日)とも呼ばれ、雄羊の角笛(ショファール=ラッパ)を吹き鳴らします。ローシュ・ハシャナーで響くラッパの音は、救済史の過去・現在・未来をつなぎ、神の贖いと再臨の希望を告げ知らせます。
◆贖いの備えと復興(創世記22章 / エレミヤ31章)…アブラハムのイサク奉献において、神は角を藪に引っ掛けた雄羊をあらかじめ備えられました。自らの力を手放し悔い改める(テシューヴァ)者には、主の不変の愛と身代わりの救いが与えられます。
◆メシアによる招集(マタイ24章)…終わりの日、人の子は大きなラッパの音とともに御使いたちを遣わし、選ばれた民を東西南北から集めます。角笛の響きは、散らされた神の民が救い主のもとに一つにされる合図です。
◆復活の希望と勝利(1コリント15章 / 1テサロケ4章)…「終わりのラッパ」が鳴り渡るとき、死者は朽ちない姿で復活し、生きている者も一瞬で変えられます。主ご自身が神のラッパとともに天から下られ、信徒は雲の中に引き上げられます。この音は死に対する最終的な勝利の宣言です。
◆警告と覚醒(黙示録8章)…御使いが吹く七つのラッパは地への裁きと警告を意味します。恵みの時代が続いているうちに目を覚まし、神の前に悔い改めるべき緊急性を示しています。
◆結び…角笛の響きは、アブラハムの羊に象徴されるイエス・キリストの十字架を仰ぎ見させると同時に、終わりの日の裁きへの警告、そして再臨の栄光と体の復活という確かな希望を与えます。私たちはこの約束に堅く立ち、主の再臨を待ち望みつつ日々歩んでいきたいと願います。
〔日曜日の午後6時から約1時間、主日礼拝を行っています。お気軽にお越しください〕
Posted on 09/06/2026 at 16:14, by matsumoto
《聖書箇所》申命記11:26-16:17/イザヤ54:11-55:5/①ヨハネ4:1-6
《ギホンの泉》~分かち合いの呼び水~
主よ、
あなたは真理へと招き、
祝福の道を示される。
従う者には光があり、離れる者には影がある。
私はあなたの言葉を選び、
感謝をもって歩む。
試練の風が吹いても、あなたの契約は揺るがない。
山々が移ろうとも、
あなたの平和はとこしえに立つ。
渇く者を招く声は、無償の恵みの声。
あなたの真実こそ私の土台。
多くの霊がささやく世にあっても、
十字架と復活を証しする光は偽りを照らし出す。
私の内におられる方は世よりも大いなる方。
その勝利のうちに、私は真理を歩む。
主よ、
あなたの愛に根ざし、御霊の導きに耳を澄ませ、
一歩ずつ、あなたの道を進ませてください。
〔日曜日の午後6時から約1時間、主日礼拝を行っています。お気軽にお越しください〕
Page 1 of 14812345...102030...»Last »