Posted on 01/29/2023 at 21:52, by matsumoto

主日礼拝メッセージ要約『らくだが針の穴を通る』(新約に引用されている旧約 その34)(2023.1.29)

あなたの父と母を敬え。あなたの神、主が命じられたとおりに。それはあなたの齢が長くなるため、また、あなたの神、主が与えようとしておられる地で、しあわせになるためである。(申命記5章16節) /戒めはあなたもよく知っているはずです。『殺してはならない。姦淫してはならない。盗んではならない。偽証を立ててはならない。欺き取ってはならない。父と母を敬え。』 (マルコ福音書10章19節)

◆はじめに…先週、眞津代牧師がかつて教会学校の教師をしていたときの元生徒のYさん(現在、障がい者施設に入所)から、新年のあいさつとクリスマスプレゼントのお礼のお便りが届きました。その文末は「あなたの父と母を敬え」とのみことばで結ばれていました。ものすごく説得力のあるというより、権威ある生きたことば、人格の伴ったことばとして響いてきました。「あなたは、両親を敬っているか」と、私に問いかけてきます。

◆こどもまんなか社会…Yさんが「あなたの父と母を敬え」とのみことばを、確信をもって伝える背後には、いつもYさんの味方であり、居場所であり続け、Yさんを人生の真ん中に立たせ誠心誠意仕えて来られたご両親の存在があります。「こどもまんなか社会」の実現に向け「こども家庭庁」が4月1日に創設されることを、国会でも岸田総理がアピールしていますが、それは岸田総理の発案でも功績でもなく、家庭においても、社会においても、イエス様がこどもを真ん中へ抱き寄せて下さっていることに思いを馳せたいと思います(マルコ9章36-37節)

◆らくだが針の穴を通る(≒にじり口)…今日のテキストの箇所は、富める青年がイエス様に「永遠のいのちを受けるためには、私は何をしたらいいでしょうか」(同10章17節)と質問する文脈の中で、イエス様が語られたところです。そのやり取りの中で「持ち物をぜんぶ売り払い、貧しい人に与えなさい」(同21節)とのイエス様の解答を聞いた青年は、立ち去ってしまいました(同22節)。それでイエス様は「金持ちが神の国にはいるよりは、らくだが針の穴を通るほうがもっとやさしい」(同25節) 。シリアの都に入る大きな門の側面に“針の目(穴)”と呼ばれる旅人のための小さな狭い門があることが知られています。つまり人がひとり入るのにやっとの小さな門です。日が落ちると、荷馬車用の大きな門はかんぬきを掛けて閉められてしまうので、荷物を積んだらくだは入れなくなってしまう訳です。荷物を降ろせば、らくだも何とか入れるかも知れない、そんな門です。

◆結び…私たちの背負っている荷物は何でしょうか? 持っている物を一旦、降ろして、何も持たない子どものように、いのちに至る門、イエス様の懐へ。

Posted on 01/29/2023 at 00:55, by matsumoto

主日礼拝メッセージ要約『超我優聖』(新約に引用されている旧約 その33)(2023.2.22)

あなたにこのことが示されたのは、主だけが神であって、ほかには神はないことを、あなたが知るためであった。(申命記4章35節) /そこで、この律法学者は、イエスに言った。「先生。そのとおりです。『主は唯一であって、そのほかに、主はない。』と言われたのは、まさにそのとおりです」(マルコ福音書12章32節)

◆はじめに…先週の1月17日で阪神淡路大震災が起こって28年が経過します。当時、西宮の親戚の叔父さん宅に滞在していて直接震災を体験しましたので、今でのその瞬間のことをリアルに思い出します。家の中は割れた食器や食材が散乱し、外は、家は潰れ、高速道路は落ち、地中埋められたガス管や水道管が破損していました。目の前の現象もさることながら自然環境の背後にある大きな“意志”の存在を感じました。

◆献身の動機…その震災の中、信義叔父さんは、朝一番に出掛けて行き、破裂して水の吹き出している水道管のところで、近所の人々へ順番に水を配っていたのです。私はと言うと、自分のことを優先して、大阪で開かれていたスクーリングに出掛けました。通常1時間くらいで目的地に着くところが半日掛かりでした。そして驚いたことに淀川を越えたら大阪の街はいつもとまったく変わらない日常があったのです。震災とはまったく無縁のようでした。あ然としました。この震災での体験が私を献身へと導いたのです。

◆頂芽優勢(ちょうがゆうせい)…先週、バラでお世話なっている師匠(社長さん)に庭のバラの冬剪定をお願いしました。伸び放題になっていたバラの枝を綺麗に整えて下さいました。剪定作業をしながら“頂芽優勢”ということを教えて下さいました。読んで字のごとく、真っ直ぐ伸びたバラの枝(茎)の先端の芽が一番成長するという、植物の性質のことです。この性質を利用し、枝(茎)の先端を切り、水平方向に誘因することで側芽の成長が促進され、春には花をたくさん咲かせるようになるということです。

◆ピスガの頂きで…今日のみことばは、モーセがその生涯の最期に、ピスガの頂き(ネボ山)に立ち、主ご自身から頂いたみことばです。モーセは誰よりも主に近くいました。しかし主はピスガの頂きに立つモーセに「あなたはこのヨルダンを渡ることができない」「ヨシュアを力づけ、励ませ」(申命記3章27、28節)と語られました。モーセはホレブ山で神の召命を受け、シナイ山で十戒を授けられ、ピスガ山頂に立った後、120歳でその生涯を閉じました。信仰はヨシュア率いるイスラエルの民に引き継がれました。

◆結び…私たちの人生は「頂芽優勢」ならぬ「超我優聖」なのです。

Posted on 01/18/2023 at 21:54, by matsumoto

主日礼拝メッセージ要約『誓いではなく対話』(新約に引用されている旧約 その32)(2023.1.15)

人がもし、主に誓願をし、あるいは物断ちをしようと誓いをするなら、そのことばを破ってはならない。すべて自分の口から出たとおりのことを実行しなければならない。(民数記30章2節) /(…)『偽りの誓いを立ててはならない。あなたの誓ったことを主に果たせ。』と言われていたのを、あなたがたは聞いています。(マタイ福音書5章33節)

◆はじめに…小学生の頃、私は非常に内気な性格で、人と話すことが苦手でした。小学2年生の時の担任の先生から“不言実行”という言葉を聞き、少し自分を肯定的に受け止められるようなり、小学5年生の時、学習発表会で “能ある鷹は爪を隠す”ということわざを説明する担当になった時、「(…)まるで僕の事を言っているようですね」と言うと、参観しているお母さん達に、どっと笑いが起き、少し話すことに自信がつきました。とは言っても「有言実行」「自己アピール」のできる同級生たちを羨ましく思いながら過ごしました。

◆嘘、偽り、誓い…こどもから大人へと成長する過程で、自我が芽生え、親や社会との価値観の違いが生じ、自己主張や自己保身のために嘘や偽りを言うようになります。その嘘や偽りを正当化しようとして誓いを立てます。ペテロの誓いは最たるものです。勇ましく「たとい全部の者があなたのゆえにつまずいても、私は決してつまずきません。」「たとい、ごいっしょに死ななければならないとしても、私は、あなたを知らないなどとは決して申しません。」(マタイ26章33、35節)と誓い、後に「私にはわからない」「そんな人は知らない」(同70、72、74節)

◆誓うな。然り然り、否否…人は先の事は見通せません。将来は主のみご存じです。「人の歩みは主によって定められる。人間はどうして自分の道を理解できようか。」(箴言20章24-25節)。ですからイエス様はおっしゃいました。「決して誓ってはいけません。(…)天を指して誓ってはいけません。(…)地を指して誓ってもいけません。(…)エルサレムを指して誓ってもいけません。(…)あなたの頭を指して誓ってもいけません。」(マタイ5章34-36節)

◆問い、応答、再派遣…御心を否定し、イエス様を裏切る誓いを立てて失敗したペテロ。失敗を記憶から消し去るように再び漁に出て、徹夜で働きましたが釣果(ちょうか)はありませんでした。しかしイエス様はその様子をすべてご存じで、ペテロと対話されました。「わたしを愛するか」と。そして「わたしの羊を飼いなさい」と再び使命に遣わされたのです。

◆結び…イエス様は、独りよがりの偽りの誓いをした私達を丸ごと引き受け、先回りして見守り、対話し、新たな使命に遣わしてくださる方です。

Posted on 01/08/2023 at 15:01, by matsumoto

主日礼拝メッセージ要約『主は知っておられる』(新約に引用されている旧約 その31)(2023.1.8)

(…)それから、コラとそのすべての仲間とに告げて言った。「あしたの朝、主は、だれがご自分のものか、だれが聖なるものかをお示しになり、その者をご自分に近づけられる。」(民数記16章5節) /「主はご自分に属する者を知っておられる。」(②テモテ2章19節)

◆はじめに…改めて主の年2023年、明けましておめでとうございます。新しい年も、主イエス様のみことばからいのちを頂きながら日々ともに御国に向けて歩ませて頂きたいと願っています。私たち夫婦は昨年末からコロナになり、7日間の自宅療養生活になりました。床に伏し、つくづく無力さを知らされました。けれどもそれは貴重な体験でもありました。人間の力には限界があること、しかし主によって再び新しい力が与えられることを実感する機会でした。

◆分を越えている…今日のテキストは、アロンとモーセに対する「コラたちの反乱」です。はじめは、コラを含め4人、その他各部族のリーダーたち250人です。その大義名分は「あなたがたは分を越えている」「全会衆残らず聖なるものである」(民数記16章3節)でした。簡単に言えば“イスラエルの民はみな、神様の前に平等でしょ。なのに、あなたたち二人がリーダー独占ってどうなの? おかしくねぇ”ということです。平等と言いながら、コラの本心は“私がモーセ、アロンに代わって民の上に立つ”と言う、それこそ分を越えた(主のみこころに逆らう)野望と言えます。

◆失敗に学ぶ…出エジプトにおけるイスラエルの民の歩みは、リーダーに対する反抗の連続でした。その中にあってもリーダーは主の前にひれ伏し、執り成し、あがないをし続け、主に頼りながら、つぶやきの絶えない民と共に歩み続けました。そのようにしてリーダーは試練の中で主にあって成長し、信仰を継承していきました。また、仕えるイスラエルの民自らも過去の先達の失敗を教訓としながら、少しずつ主に信頼することを学んでいきました。人は失敗します。失敗を繰り返します。しかし失敗から学ぶことができます。

◆荒野(の人生)を導かれる主…主は、人生の荒野で失敗する私たちの弱さを十二分にご存じです。見放されません。「主はご自分に属する者を知っておられる」(②テモテ2章19節b)とある通りです。ですから、そのままでは卑しく、役に立たない、木や土の器のように者であっても、①不義から離れ(きよめ)、②有益なもの(聖)として用いられる者となる、そうみことばは示しています。

◆結び…共謀したペレテの子オンは罰を免れ、首謀者コラの子たちは、主の宮で主を賛美する者となりました。弱い私たちを抱き、導いて下さる主に感謝します。

Posted on 01/05/2023 at 14:01, by matsumoto

主日礼拝メッセージ要約『御子イエス様の誕生』(新約に引用されている旧約 その30)(2022.12.25)

(…)また、その骨を一本でも折ってはならない。すべて過越のいけにえのおきてに従ってそれをささげなければならない。(民数記9章12節) /この事が起こったのは、「彼の骨は一つも砕かれない。」という聖書のことばが成就するためであった。(ヨハネの福音書19章36節)

 

◆はじめに…私たちはアドベントの主日毎に1本ずつ明かりを灯してきました。そして本日の降誕日、クランツの中央の「キリストのキャンドル」に明かりが灯り、すべてのキャンドルに明かりが灯りました。

◆ウクライナのクリスマス…首都中心部のソフィア広場には毎年、高さ31メートルのツリーが立てられたが今年は規模を縮小して高さ12メートルのツリーに。電力不足を反映し、ツリー脇には発電機が置かれ、電飾も省エネタイプに。また大勢の人が集まる催しも中止に。そんな中にあっても30代の女性は「子供たちにとってクリスマスは特別な日。戒厳令下でも子供の楽しみを奪えない」「生きていることに感謝して助け合う。むしろクリスマス本来の精神に立ち戻る機会かもしれない」と戦時下でのクリスマスの意義を話していました。

◆御子イエスの誕生…ヨセフとマリヤは困難な旅の途中、月が満ち、何の準備もなく出産せざるを得ませんでした。心構えのないところに起きた出来事です。「布にくるんで、飼葉おけに寝かせた。宿屋には彼らのいる場所がなかった」(ルカ2章7節)。非常事態下にあるウクライナの人々も同様、暖房も照明も医療環境も十分ではない地下シェルターの中で、新しいいのちの誕生の出来事が日々、起こっていることでしょう。そこにイエス様は“インマヌエル”なる救い主として共におられます。「今日、ダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。」(同11節)

◆主の恵み…世の片隅で起こった出来事が、実は新しい世界の始まりになる重大な出来事でした。そのことを最初に知らされたのが野宿していた羊飼いたちでした。羊飼いは“骨の折れる”きつい肉体労働です。年中無休です。そんな昼夜問わず羊を見守る羊飼いは高慢とは程遠く、こだわりのない心、砕かれた心の持ち主だったでしょう。それ故、主の恵みの言葉に近い。主の恵みに触れると人の心は喜びに満たされます。その体験の積み重ねが人生を前進させる力、真実の生きがいになります。イエス様の出来事は私たちの生きがいそのものです。

◆結び…私たちの日々の小さな出来事の中に、イエス様が底なしの恵み(カリス)、喜び(カーラー)を贈り物(カリスマ)として準備して下さっています。

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