Posted on 02/05/2017 at 16:54, by matsumoto

主日礼拝メッセージ要約『滅びの河と生命の河(黙示録 その24)』(2017.2.5)

 

その声がラッパを持っている第六の御使いに言った。「大川ユーフラテスのほとりにつながれている四人の御使いを解き放せ。」(ヨハネ黙示録9章14節)

 

  • はじめに…先週の水曜日から風邪をひいて、土曜から日曜にかけてのメッセージの準備も危ういかも…。そんな状態でした。それで土曜は早めに床に就き、iPadで水の流れる音を聴きながら仮眠をとりました。
  • 第六のラッパのさばき…今日のテキストは第七の封印が解かれ、神の御前に立つ七人の御使いそれぞれラッパを持っており、そのラッパを御使いが順に吹き鳴らす度に、次々とさばきの出来事が起こる訳ですが、その第六のラッパです。このラッパが吹き鳴らされると、祭壇の四隅の角から声がしたのをヨハネは聞きました。「大川ユーフラテスのほとりにつながれている四人の御使いを解き放せ」
  • 滅びの河…ユーフラテスのほとりに“つながれていた”四人の御使いの使命は、人類の三分の一を殺すことです。どんなに正当な理由があったとしても、人を殺すという行為が許可されるというのは、心情的には受け入れ難いことです。しかしサタンの支配する王国の結末は、堕天使(悪の天使)によって罪人(悪人)が裁かれる世界だということです。「天に唾する」道理です。ユーフラテス川は、トルコ北東部の山地を源流としてペルシャ湾に注ぐ全長2780キロに及ぶ大河です。ユーフラテスが氾濫し、大水が押し寄せるように騎兵の軍勢2億が襲い掛かって来るのです(黙示録9章16節、イザヤ8章7-8a節参照)。ユーフラテスは“滅びの河”の象徴なのです。
  • 生命の河…ユーフラテスの大河に対して、イザヤは“シロアハ”の水を引き合いにしています(ヒゼキヤトンネル(ギホンの泉からシロアムの池まで)は全長533メートル)。それは生命の源、神の恵みの源、つまり“生命の河”です(ヨハネ7章37-38節、同9章7節参照)。そして黙示録22章で使徒ヨハネは、神の都の中央に「いのちの水の川」と「いのちの木」(黙示録22章1-2節参照)を見ています。
  • 結び…確かに恵みの主は、私たちに「いのちの水の川」「シロアハの水」そして「いのちの木」を与えて下さり、日々、生命を支え、いやしの御業を成し、ご自身の栄光を顕しておられます。
Posted on 01/29/2017 at 20:06, by matsumoto

主日礼拝メッセージ要約『黄泉降りのキリスト(黙示録 その23)』(2017.1.29)

 

第五の御使いがラッパを吹き鳴らした。すると、私は一つの星が天から地上に落ちるのを見た。その星には底知れぬ穴を開くかぎが与えられた。(ヨハネ黙示録9章1節)

  • はじめに…先週、「終末時計」の時刻が、残り2分30秒になったと、メディアで報道されていました。世界の政治の右傾化、頻発する自然災害を目の当たりにすると、確かに世界が終わりに向かって突き進んでいるように感じざるを得ません。そのなかにあって私たちは、慌てたり、焦ったり不安になったりすることなく、目指すところをしっかりと心に覚えて歩むことが大事なことです。
  • きみが還る場所…先週の金曜日、『きみが還る場所』(90minutes Heaven)を観ました。交通事故で心肺停止になった牧師が、現場に居合わせた牧師の祈りと賛美に応答し、病院へ搬送。手術の末に一命を取りとめ、苦痛と空虚感との闘病生活に。150日後には自力で立ち上がるまでに回復。そして事故の出来事を語り出します。「あの日、目覚めると天国にいた」
  • 底知れぬ所…今日のテキストは、天国とは反対の“底知れぬ所”。別の言葉で黄泉とか、ハデスとか、シェオルと呼ばれるところです。そこから煙が立ち上り、いなごが出て来るのをヨハネは見ました。いなごは、額に印を押されていない人を五か月間(すなわち150日)、苦しめることを使命としていました(創世記8章3節参照)。11節にはいなごのすみかの、底知れぬ所で王として支配している御使いの名がヘブル語で「アバドン」、ギリシヤ語で「アポリュオン」だと記されています(ヨブ28章22節、箴言15章11節、同27章20節、詩篇88篇11節参照)
  • 黄泉降りのキリスト…詩篇の作者は「あなたの恵みが墓の中で宣べられましょうか、あなたの真実が滅び(アバドン)の中で」と訴えています。神様との絶対的断絶が墓であり、滅びですから、もっともな訴えです。しかし、ある意味、常識的な詩篇の作者の考えを超えて、父なる神は、子なるキリストを黄泉の深みにまで遣わされ、みことばの力によって御許へ引き寄せてくださる方です(Ⅰペテロ3章18-19節、同4章6節)
  • 結び…黒煙で煙り、先が見えないような時代ですが、そのただ中に光なるイエス様が来て下さり、無限の聖霊が黒煙を吹き払い、みことばを通して私たちの還るべき天の御国の住まいをはっきりと確信させてくださって感謝します。
Posted on 01/22/2017 at 19:39, by matsumoto

主日礼拝メッセージ要約『禍転じて福となす(黙示録 その22)』(2017.1.22)

 

また私は見た。一羽のわしが中天を飛びながら、大声で言うのを聞いた。「わざわいが来る。わざわいが、わざわいが来る。地に住む人々に。あと三人の御使いがラッパを吹き鳴らそうとしている。」(ヨハネ黙示録8章13節)

 

  • はじめに…先週の1月17日で、阪神淡路大震災から22年が経過しました。6434人が亡くなり、30万を超える人々が避難生活を余儀なくされた未曾有の大地震でした。被災した者としては昨日のことのように思い出します。以前にもお話ししましたが、この大震災が私の献身のきっかけとなりました。
  • 第7の封印…第六の封印が小羊によって解かれたとき、地震が起こりました(黙示録6章12節)。その後、7章では、天において大歓声をあげて礼拝と賛美が捧げられる光景を使徒ヨハネは見、そして今日のテキストの8章で、最後の七巻目の封印が解かれます。そのとき、「天に半時間ばかりの静けさ」(同8章1節)がありました。審判の前の厳かな静謐です。交響曲第5番「運命」の冒頭の八分休符のようです。祈りのために聖別された時間です。それから香炉が御使いによって地に投げられ、再び地震が起こり、次々に七つのラッパが吹き鳴らされていきます。
  • 第1から第4のラッパ…植物が焼け、海が血となり、水は苦くなり、天体は光を失います。人類を取り巻く環境の三分の一が崩壊していきます。ドミノ倒しのように、あるいは核分裂のように壊れていきます。
  • 中天を飛ぶわし…粛々と事態が進んでいくなかで、一羽のわしが中空を飛びながら、「わざわいが来る。わざわいが、わざわいが来る」という大声をヨハネは聞きました(同8章13節)。有罪判決が下され、それを触れ回っているような響きがありますが、実は、ヘブル語訳聖書では、深い悲しみを表す言葉「オイ」が使われています。「悲しいかな、悲しいかな、悲しいかな」と、鳥の中の王とも言える鷲が、深く悲しんでいるのです。世の悲しみは死をもたらしますが「みこころに添った悲しみは悔いのない救いに至る悔い改めを生じさせます」(Ⅱコリント7章10節)。また、希望は失望に終わることはありません(ローマ5章5節)
  • 結び…滅びゆかんとしている魂を、主が救い出して下さるよう、祈ります。

 

Posted on 01/16/2017 at 19:05, by matsumoto

主日礼拝メッセージ要約『与えられた香(黙示録 その21)』(2017.1.15)

 

また、もうひとりの御使いが出て来て、金の香炉を持って祭壇のところに立った。彼にたくさんの香が与えられた。すべての聖徒の祈りとともに、御座の前にある金の祭壇の上にささげるためであった。(ヨハネ黙示録8章3節)

 

  • はじめに…昨年のちょうどこの日、オリーブ山からエルサレムを展望しました。抜けるような青空でした。それから山を歩いて下り、ゲッセマネの園へ。
  • ゲッセマネの祈り…イエス様は、十字架に架かられる前夜、このゲッセマネ(油絞り)で、まさに搾油機でオリーブ油を最後の一滴まで搾り出すような祈りを、主に捧げられました。そこにイエス様の祈りを記念する万国民教会が建てられています。
  • 天使の祈り…今日のテキストは、イエス様がこの地の最も低いところでうつ伏して祈られたのとは反対に、天では御使いが祈っています。「金の香炉を持って祭壇のところに立った」とあります。祭壇は香壇のことです。地において香壇の前に立つことができたのは、年に一度、「贖罪の日」に大祭司がイスラエルの民を代表して立ちました。または、くじに当たった祭司が(一生に一度)、朝夕の香をたく祈りの務めに立ちました。その聖い場に立った御使いに“たくさんの香”、すなわち“祈り”が与えられたのです。
  • すべてに勝る愛…ソロモンの若い時の著作といわれている「雅歌」に「私の妹、花嫁よ。あなたの愛は(…)すべての香料にもまさっている」(雅歌4章10節)、「あなたの産み出すものは(…)香料の最上のものすべて」(同14節)と記されています。つまり“香”は“祈り”であり、祈りは“愛”だということです。そして、その“愛”が「与えられた」のです。裏を返せば、私たちには(御使いにも)、生まれながらの愛はなく、愛は、ただただ主から「与えられる」ものだということです。では、その愛は一体、どんな愛で、どこで与えられるのかと言えば、イエス様のゲッセマネの愛(祈り)であり、最も低いところ、暗いところ、この地のどん底、この地の片隅で与えられるのです。「生きよ」「生かす」と、贖いの主は、私たちのために今日も祈って下さっています。
  • 結び…私たちに愛と祈りを与えて下さり、生かして下さる主に栄光がありますように。

 

Posted on 01/08/2017 at 19:42, by matsumoto

主日礼拝メッセージ要約『涙を拭ってくださる主(黙示録 その19)』(2017.1.8)

 

なぜなら、御座の正面におられる小羊が、彼らの牧者となり、いのちの水の泉に導いてくださるからです。また、神は彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださるのです。(ヨハネ黙示録7章17節)

 

  • はじめに…先週一週間は、元旦の二部礼拝に続いて、祈りのための来客、お見舞い、そして仕事始めと、内容のぎっしり詰まった“福袋”のような一週間でした。私たちの小さな脳みそと身体は、すぐに飽和状態になり、処理不能になってしまいます。人間には限界があります。
  • いのちと力の源…しかし、そんなとき、御座におられる主に心静かに祈ると、不思議と爽快な風が吹きはじめ、清い水が流れはじめます。新たないのちと力が与えられます。このいのちと力の源となる祈り、礼拝が、すなわち、天における霊的礼拝です。この地上にありながら天上の礼拝を捧げているのです。なぜなら、主イエス様が十字架によって、この地と天の霊的通路を開いて下さっているからです。
  • 涙を拭って下さる主…その小羊なる主は、礼拝を捧げる私たち一人ひとりの涙を拭って下さる方だと、御言葉は語っています。この地にあって私たちは、どれほど多くの涙を流して来たことでしょう。自分自身の不甲斐なさのためにひとり悔し涙を流し、人間関係のもどかしさゆえの悲しみや憤りの涙を流したことでしょう。これからも涙することでしょう。しかし、そのすべてをご存知の主が、その都度、涙を拭い去って下さるのです。
  • 涙される主…私たちの涙を拭って下さる主ご自身、どれだけ私たちのために涙されたことでしょうか。今、御許から離れて闇をさまよっている魂を思って涙されておられるでしょう。あるいは病気で苦しんでいる魂、故なき不条理に遭っている魂のために、ラザロの死を前にして涙されたのと同じように、涙されておられるのではないでしょうか(ヨハネ1135節)。しかし、その涙の先にあるものは…。そうです。復活です。
  • 結び…私たちの涙を拭って下さる主、また自ら私たちのために涙される主、そして自らを十字架に委ね、贖い、復活のいのちを与えて下さった主に栄光がありますように。

 

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