Posted on 04/03/2022 at 14:44, by matsumoto

主日礼拝メッセージ要約『遠くの者にも近くの者にも平安あれ』(イエス・キリストの生涯 その206) (2022.4.3)

「わたしはくちびるの実を創造した者。平安あれ。遠くの者にも近くの者にも平安あれ。わたしは彼をいやそう」と【主】は仰せられる(イザヤ書57章19節)/ それからキリストは来られて、遠くにいたあなたがたに平和を宣べ、近くにいた人たちも平和を宣べられました(エペソ2章17節)

  • はじめに…先週、桜が一気に咲き、春を告げています。春の花は、暖かいほど早く咲きます。ただ、その前に一定の寒さを経ないと休眠していた芽が目覚めず、花は咲かないそうです。つらい寒さを経てこそ花も咲く由、私たちの人生も同じではないでしょうか? つらい出来事があります。不条理なこともあれば、自らの過ちから招く苦難もあります。しかし主は、それらの困難の後、平安を告げられる方です。
  • 荒廃した都で…今日のテキストはイザヤ書57章です。バビロン捕囚から解放されて後、都エルサレムに帰還したものの、帰還民は貧しく、困窮の中にあり何から手を付けたら良いのか分からない状態でした。希望に燃えて帰ってきたものの失望落胆、あるいは「どうにでもなれ」というような思いがありました。主を見失っている状態でした。その民に向かってイザヤは、主が導かれる将来に目を向け、再び希望に生きられるよう預言を語りました。
  • 平安といやし…「わたしはくちびるの実を創造した者。平安あれ。遠くの者にも近くの者にも平安あれ。わたしは彼をいやそう」(イザヤ57章19節)と主はおっしゃいました。主は荒れ果て、渇いた心を聖霊で満たして下さいます。そして主との関係を完全に回復して下さいます。それが主の下さる「平安」と「いやし」です。その方法はイエス様の受肉、十字架、復活と聖霊派遣です。「平安」と「いやし」の招きから漏れる人は一人もありません。「平安」と「いやし」の招待状(みことばの招き)はすべての人の心のポストに届いています。「彼(イエス様)は、私たちのそむきの罪のために刺し通され、私たちの咎のために砕かれた。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、彼の内傷によって、私たちはいやされた」(イザヤ53章5節)「わたしは、あなたがたを捨てて孤児にはしません」「わたしは、あなたがたに平安を残します。わたしの平安を与えます」(ヨハネ14章18、27節)「平安があなたがたにあるように」(同20章19、21、26節)「聖霊を受けなさい」(同22節)
  • 結び…イエス様は、私たちの患難、辛苦、痛みをご存じであり、共にご自身の身に引き受けて下さっておられます。私たちを見捨てて孤児とはされず、永遠に天の都で住まわれます方です。その方が今、共におられます。感謝。
Posted on 03/27/2022 at 14:43, by matsumoto

主日礼拝メッセージ要約『わたしの家はすべての民の祈りの家』(イエス・キリストの生涯 その205) (2022.3.27)

わたしは彼らを、わたしの聖なる山に連れて行き、わたしの祈りの家で彼らを楽しませる。彼らの全焼のいけにえやその他のいけにえは、わたしの祭壇の上で受け入れられる。わたしの家は、すべての民の祈りの家と呼ばれるからだ。(イザヤ書56章7節)/ そして、彼らに教えて言われた。「『わたしの家は、すべての民の祈りの家と呼ばれる』と書いてあるではありませんか。それなのに、あなたがたはそれを強盗の巣にしたのです。」(マルコ11章17節)

  • はじめに…先週、壱岐の島の最南端の野で祈ってきました。そこで感じたのは、主は、祈りの中におられる、主のおられるところに祈りがある、ということでした。そして祈りには喜びと力があるということでした。
  • 宮きよめ…今日のテキストはイザヤ書56章です。いわゆる「第三イザヤ」と呼ばれる区分の最初です。バビロン捕囚から解放されて後、都エルサレム(神殿)の再建と回復の時期が背景にあります。イエス様はこの箇所を、十字架、復活の一週間前の“宮きよめ”の場面で引用しました。どちらの時代も神殿祭儀を中心とした律法主義によって、指導者層は利をむさぼり、腐敗し、一方で民衆、とくに貧しく弱い立場にある者、外国人、障がいを負った者は、虐げられ、排除され、搾取される構造になっていました。しかしイエス様は真の律法、すなわち福音をイエス様は告げ、体現されました。
  • すべての民の祈りの家…「わたしの家はすべての民の祈りの家と呼ばれる」とイエス様は宣言されました。「家」は建物でもなく、出自や家系、家柄でもなく、イエス様との親しい交わりの場です。そこには何の分け隔てもありません。聖書に記されている虐げられている、いわゆる“罪人”のレッテルを貼られている取税人、遊女、また外国人(異邦人)、宦官等々、そして私たち一人ひとり、さらに私たちが受け入れられないと考えている人々、誰一人としてイエス様との親しい交わりの機会(祈り)から締め出されている者はありません。
  • 結び…ベツレヘム(パンの家)で生まれ、ベタニヤ(柔和な家)でラザロを生き返らせたイエス様が、ご自身の家であるベテピラ(祈りの家)で贖いとなられるために過越祭に宮へ入られたのです。イエス様は二度、宮きよめを行っています。最初の宮きよめの後、ニコデモに「人の子も上げられなければならなりません。それは、信じる者がみな、人の子にあって永遠のいのちを持つためです」(ヨハネ3章14-15節)と語られました。すべての民の「祈りの家」は、一人として滅びることのない、イエス様の愛に満ちた家庭です。
Posted on 03/13/2022 at 19:43, by matsumoto

主日礼拝メッセージ要約『変わらない愛の契約』(イエス・キリストの生涯 その204) (2022.3.13)

耳を傾け、わたしのところに出て来い。聞け。そうすれば、あなたがたは生きる。わたしはあなたがたととこしえの契約、ダビデへの変わらない愛の契約を結ぶ。(イザヤ書55章3節)/神がイエスを死者の中からよみがえらせて、もはや朽ちることのない方とされたことについては、『わたしはダビデに約束した聖なる確かな祝福を、あなたがたに与える』というように言われていました。(使徒の働き13章34節)

  • はじめに…毎日ライブカメラでウクライナの首都キエフの様子を確認していますが、カメラで見る限り、自家用車が走っていたり、ハトが飛んでいたりする様子が映っており、今のところ戦火は及んでいないようです。一方、ロシア側のライブカメラは見ることができません。情報統制されているのでしょう。一日も早いロシア軍の撤退とウクライナの人々の平和の回復を祈ります。
  • プリム祭…今週17日(木)、イスラエルでは「プリム祭」が行なわれます。異教の地ペルシャに暮らしていたユダヤ人が、高官ハマンのユダヤ人殲滅(せんめつ)の策略から救われ、絶滅の危機を逃れた事を記念する祭りです。会堂や家庭では『エステル記』が朗読されます。そして子供たちが仮装したり、「ハマンの耳」と呼ばれる耳の形をした用意されたクッキーを食べる、子供たちが最も楽しみにしている祭りです。今年はウクライナの平和を願って、クッキーを青と黄色の色をつけようと呼びかけられているようです。
  • 呪いから祝福(恵み)へ…今日のテキストはイザヤ書55章です。天地創造の主の恵み(祝福)を受けよ、というメッセージが込められています。それは変わることのない神様の、私たちに対する愛のメッセージです。昔も今も、権力者や資本家のことばに操られています。欲望を駆り立てられ、不安を煽られます。逆に言えば“みことばの飢饉”に陥っています。呪われています。それゆえに愛の主は、「わたしに聞け、良い物(みことば)を食べよ」(イザヤ55章2節)と、祝福(恵み)を語りかけています。「わたしの道は、あなたがたの道より高く、わたしの思いは、あなたがたの思いよりも高い」(同9節)、「わたしのことばは、必ず望む事を成し遂げ、言い送った事を成功させる」(同11節)と、祝福(恵み)のみことばの確かさを告げていす。みことばは呪いを解き、祝福に代える真実のみことば、イエス様ご自身の語られるみことばです。
  • 結び…私たちの人生を新しく造り変えてくださる天地創造の主、贖いの主のみことばに共に信頼して歩みたいと願っています。
Posted on 03/06/2022 at 18:40, by matsumoto

主日礼拝メッセージ要約『平安はイエス様(のみことば)にある』(イエス・キリストの生涯 その203)(2022.3.6)

あなたの子どもたちはみな、主の教えを受け、あなたの子どもたちには、豊かな平安がある。(イザヤ書54章13節)/預言者の書に、『そして、彼らはみな神によって教えられる』と書かれていますが、父から聞いて学んだ者はみな、わたしのところに来ます。(ヨハネ福音書6章45節)

  • はじめに…ロシア大統領プーチン氏の命令によって先月24日からロシア軍がウクライナに侵攻を始めて10日。その戦火の中で、現地のキリスト者(とユダヤ教徒)は、地下室やシェルターに身を隠しながら、旧約聖書の詩編31編を読んで祈っていると、キリスト教関連のメディアが伝えています。この祈りは、ウクライナのユダヤ教ラビの呼びかけから始まりました。今、詩篇31篇のみことばが心の暗闇を照らす光となって、不条理な困難の中にあるウクライナの人々を支えています。ウクライナ人牧師レイチネッツ氏は「私たちは平和を祈ることを勧めます。敵に勝利することを祈っていません。外交が解決策をもたらすことを祈ります。これ(ウクライナ侵攻)を止めるのは奇跡であるに違いないことを知っているので、神の奇跡が起こることを祈ります。ですから、私たちは人々と一緒に聖書を読み、祈ります。」と語っています。
  • 変わらぬ愛…今日のテキストはイザヤ書54章です。紀元前586年アブの月の9日、バビロン軍によってソロモン神殿は破壊されエルサレムの町は廃墟と化しました。イスラエルの民にしてみれば神から完全に見捨てられたように思わざるを得ない状況だったにもかかわらず、主なる神の愛は永遠に変わることはなく、あわれみをもって関係を回復される(救われる)という、慰めに満ちたみことばが語られています。
  • 主の教え…主との関係が回復したイスラエルは子孫を増していきます。そしてそれらの子どもたちは“主の教え”を受け、豊かな平安に満たされると語られています(イザヤ54章13節)。この箇所をイエス様は引用して、「父から聞いて学んだ者(=神に教えられた者)はみな、わたしのところに来る」(ヨハネ6章45節)と語りました。つまり、このイザヤ書とヨハネ福音書のみことばを重ね合わせると、豊かな平安=わたしのところに来る、ということになります。前節44節では“父が引き寄せられない限り”とあり、イザヤ書には「大きなあわれみをもって、あなたを集める」(イザヤ書54章7節)とあることから、主が愛をもって困難な中にあるウクライナの人々を(私たちを含めて)いつも御許に引き寄せてくださり、永遠のいのちに活かしてくださっている真実を知らせされます。
  • 結び… “いのちのパン”(活ける神のみことば)なるイエス様に活かされていることを感謝します。
地下シェルターで詩篇31篇を祈る家族

Posted on 02/27/2022 at 15:30, by matsumoto

主日礼拝メッセージ要約『病を負い、痛みを担われる主』(イエス・キリストの生涯 その201) (2022.2.27)

『開かれた聖書の静物』(ゴッホ) 聖書は牧師だったゴッホの父親の遺品で開かれているのはイザヤ書53章

まことに、彼は私たちの病を負い、私たちの痛みをになった。(イザヤ書53章4節)/これは、預言者イザヤを通して言われた事が成就するためであった。「彼が私たちのわずらいを身に引き受け、私たちの病を背負った」(マタイ福音書8章17節)

  • はじめに…ロシア大統領プーチン氏の命令によって24日、ロシア軍がウクライナに侵攻を開始しました。国際社会はロシアの力によるウクライナへの介入を非難し、即時撤退を求めています。また広島、長崎を含む世界各地で戦争反対のデモが呼びかけられ、大勢の人々が参加していますし、SNSでも戦争停止を要求する公開書簡が公表されたり、署名活動が行なわれています。私たちも祈りとみことばをもって、抗います。「剣をもとに納めなさい。剣を取る者はみな剣で滅びます」(マタイ26章52節)
  • ゲッセマネの祈り…これはユダが挨拶の口づけの合図によって、群衆がイエス様を捕らえた際、勢い余って大祭司のしもべの耳を切り落とした弟子のペテロに対して語ったことばです。ペテロの行動は、力に対して力で対抗しようとする、ある意味、自然な人間の本能的行動、正当防衛といえるでしょう。しかしイエス様は、それを是とはしませんでした。
  • 十二軍団よりも多くの御使い…イエス様は御使いの援護を要請する権威がありました。それは十二軍団(1団=6千人×12=7万2千人)よりも多いのだと。しかしその力も行使しませんでした。大きな石臼で油を搾る(=ゲッセマネ)ように全身全霊で父なる神に祈り、ただお一人で、すべての人の罪を背負って十字架に付かれました。
  • みことばといやし…そもそもイエス様のいのちが狙われるようになったのは、イエス様の語る核心に迫るみことばと数多のいやし、すなわち“愛の行ない”の結果、民衆の心がイエス様に向き、律法学者やパリサイ人らの“ねたみ”“嫉妬”を買ったが故です。ねたみは罪人(自己中心性、自己義認)の最大の病、痛みと言えるでしょう。それを主は一身に負われ、なおかつ、とりなしをされる、そうイザヤは「苦難のしもべ」として53章で預言しています。ゴッホの『開かれた聖書の静物』という作品があり、まさしくそのメッセージを伝えようとしています。
  • 結び…イエス様は生涯、天の父を愛し、隣人(私たち)への愛を貫き通しました。嫉妬、所有欲という剣に替えて、互いに愛せよ、そうイエス様は今、ウクライナの真ん中で叫んでおられます。
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