Posted on 06/23/2024 at 16:17, by matsumoto

『主を誇る』(新約に引用されている旧約 その92)(2024.6.23)

 

誇る者は、ただ、これを誇れ。悟りを得て、わたしを知っていることを。わたしは主であって、地に恵みと公義と正義を行う者であり、わたしがこれらのことを喜ぶからだ。──主の御告げ──(エレミヤ9章24節) /まさしく、「誇る者は主を誇れ」と書いてあるとおりになるためです。(①コリント1章31節)

◆はじめに…体調を崩してからほぼ一カ月。最初の二週間は今までに経験したことのない苦しさでした。仕事のことが頭から離れず、精神的緊張感から胸苦しさと動悸で起き上がれない日々が続きました。今も緊張感から来る胸苦しさはありますが落ち着く時も徐々にでき、その時には本を読んでみる気持ちになりました。どうぞ引き続きお祈りくだされば感謝です。

◆病床の祝福…そんな中で、『病床の祝福』を改めて読み直しました。この本は皆さんにもご紹介したことがありますが、私たちの恩師・李天秀牧師が、自らの病床で主から受けた祝福の体験を基本に書かれた本です。その最初の部分には次のように書かれてあります。「あなたは今、あなたの人生の中で一番重要な時期におかれています(…) 病床で一日を生きるのには健康な時よりもっと沢山の代価を払って生きねばなりません(…) 患者を苦しめ、最もダメージを与えるのは不安な考えです。これからどうなるか分からない恐れ、心配です。このような考えが次から次へと浮かんで来ると、体はベッドの上で安静にしていても、胸が騒いで熱が出ます。眠れないし治療の効果もろくに出ません(…) 今、あなたはこんな状況から抜け出すために、心(魂)の扉を開き、天国のいのちの水の川に 全身浸っている自分を想像してみてください。もしあなたが無理やり明るいもの 健康なものを想像しようとしたら、あなたの心身は疲れ果てているため、精神的にもっと疲れます。ですから何も心配せず、あなたの魂を主の胸の中に抱かれるようにしてみて下さい(…)」

◆主を誇る体験…病気になると、不甲斐なく、役に立たない、無力な自分自身の姿を見せつけられます。出口が見えず、にっちもさっちもいかなくなり、塞ぎ込んでしまいます。自分を誇ることはできません。自分を誇ることができないからこそ主に依り頼む絶好の機会となり、主を誇る貴重な体験になります。まさに“病床の祝福”です。実際に、天国から流れるいのちの水に全身を浸って、イエス様の懐に抱かれている自分をイメージすると、病が徐々に癒されていくのを肌身で実感しました。癒し主なるイエス様に感謝します。確かに主は今の瞬間、生きておられ、確かに病を癒し、私たちを救ってくださる方です。主は私(たち)の誇りです。

◆結び…新しい週、お互いが主を誇る一週間となるよう祈ります。

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