Posted on 01/19/2025 at 20:12, by matsumoto
モーセはこのようにイスラエル人に話したが、彼らは落胆と激しい労役のためモーセに聞こうとはしなかった。(出エジプト記6章9節)
◆はじめに…先週、青年時代からお世話になっているТ牧師からお電話を頂きました。しばらく話をしてなかったからどうしてるかと、気になっていたとのことでした。年末年始の話になって、Т牧師婦人が肺炎から心筋梗塞になり、入院することになったとのことでした。四女の出産のお手伝いに行った先で倒れたそうです。このことでТ牧師は“死”を身近に意識させられたと。“死”を前にして自分は何と無力なのか…と。そして日常の何気ない会話の積み重ねにどれほど(奇跡的な)力があるのかを思い知ったそうです。
◆使命を託されたモーセ…ミデヤンの地で長らく羊飼いとして家庭を築き、穏やかな逃亡生活を送っていたモーセでしたが、燃える柴の中から「わたしの民イスラエル人をエジプトから連れ出せ」(出エジプト3章10節)との主の声を聞き使命を託されました。そして主は、恐れて尻込みするモーセに使命を果たすよう、「わたしはあなたとともにいる」(同12節)と、みことばで励まされました。そして再びエジプトへ向かいました。
◆耳を貸さない…そしてモーセは、同胞を前にして「主が、私たちの呻(うめ)きを聞き、先祖に誓った約束を思い出し、重労働から救い、贖う。あなたたちをわたしの民とし、わたしはあなたたちの神となる」(出エジプト記6章2-8節)と語りました。ところが今日の聖書のテキストのように、イスラエルの人々は誰もモーセの言葉に耳を貸しませんでした。なぜでしょうか? モーセ自身が言うように口下手で言葉に力がなかったからでしょうか? それはイスラエル人の目の前の状況が何一つ変わらないからです。変わらないどころか、ますます現実は厳しさを増していたからです(出エジプト記5章8節以下参照)。つまり“絵に描いた餅”だからです。絵(ビジョン)は大切です。しかし、まずは現実の餅が必要なのです。
◆パンだけでなく…イエス様は、そのことを良くご存知でした。イエス様ご自身も空腹になられパンを食べ、のどの渇きを覚えて水を飲まれました。そして「人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出るひとつひとつのことばで生きる」(マタイ4章4節)と語られつつ、実際に五千人の空腹をパンと魚で満たす奇跡をなされました。パンとみことば(欲求と信仰)は、両輪です。外なる人はパンで養われ、内なる人はみことばで成長するのです。
◆結び…イエス様は、私たちの不足、欠乏、恐れ、孤独をご存知で、具体的に満たして下さり、みことばで私たちをご自身に近づけて下さり共に生きて下さる方です。
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