Posted on 05/04/2025 at 20:54, by matsumoto

『台所(日常)の出来事の中で』(ユダヤ人キリスト者と共に 聖なる者)(2025.5.4)

復讐してはならない。あなたの国の人々を恨んではならない。あなたの隣人をあなた自身のように愛しなさい。わたしは主である。(レビ記19章18節)

◆はじめに…我が家にはテレビが無いので、情報収集や娯楽教養は、もっぱらラジオです。最近は、『NHKラジオ らじる★らじる』の“聴き逃し配信”で≪宗教の時間≫を聴くことが多いです。そこで先週は宗富子(ソン プジャ)さん(84)のインタビューを聞き、大変感銘を受けました。

◆みことばとの出会い…在日2世として小学校の頃からいじめられ、中学卒業後に就職したものの、「在日」がばれては退職を繰り返し、20歳までに計22回の転職を余儀なくされたそうです。その後結婚して子宝にも恵まれるも、幸せは束の間、今度は子どもがいじめの対象に。そして夫の飲酒、暴力と、悩みは尽きることはなかったと言います。そんな中、31歳の時に李仁夏(イ インハ)牧師兼園長と小杉副牧師との出会いが人生の転機になったと言います。李牧師は「自分を愛するように隣人を愛しなさい」という御言葉を教えてくれ、小杉副牧師は「人生で選択する時は損する方を選びなさい」と教えてくれたと。聖書を学びながら、私はイエス様に愛される人間になりたいと思ったそうです。

◆自分を愛するように…イエス様は「隣人を愛しなさい」と語り、さらには「敵を愛しなさい」(マタイ5章44節)とおっしゃいます。それも“自分を愛するように”愛しなさいと勧めています。ところが“自分を愛する”ことについて、一方では「自分は自分に愛される価値がある者だろうか…」と疑問に思い、他方では「自分には自分を愛する力が欠けている」と考えて、自分を愛することとは一体どういうことなのか、分からないのではないでしょうか? 自分の背中は見ることが出来ないように。

◆復讐しない、恨まない…だから今日のテキストには「復讐してはならない。恨んではならない」(レビ19章18節ab)と記されていて、さらに「わたしは主である」(同18節d)と語られています。「復讐せず、恨まない」ことが、取りも直さず「自分を愛すること」だと、主が語られているということです。たとえて言えば、台所で野菜を切っているときに右手が誤って左手を切ってしまった場合、左手は「復讐」して右手を切ることはないと。これが、他者に対する私たちの愛のあり方だと。そのことをイエス様は『善きサマリヤ人のたとえ話』(ルカ10章25-37節)として教えて下さいました。

◆結び…新しい週、新しい月、良かれと思って過ちを犯してしまったり、隣人を傷つけてしまったり、あるいは逆に傷つけられたりの私たちの歩みを、イエス様はすべてご自身の身に負って下さり、愛の営みに変えて下さることを感謝します。

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