Posted on 06/08/2025 at 19:35, by matsumoto
主があなたを祝福し、あなたを守られますように。主が御顔をあなたに照らし、あなたを恵まれますように。主が御顔をあなたに向け、あなたに平安を与えられますように。(民数記6章24-26節)
◆はじめに…五旬節の季節が巡り、黄金色の麦畑が広がるこの時期は、私たちに収穫の喜びと、神聖な出来事を思い起こさせます。五旬節は元来、小麦の収穫を祝う祭りであり、モーセがシナイ山で十戒を授かった記念日でもあります。キリスト教会では、この日を「教会の誕生日」として記念します。使徒の働き2章1節にあるように、「すべての心(心臓)がひとつになった(集まった)」ところに聖霊が降り、キリストの体である教会が力強く活動を始めた日と言えるでしょう。
◆失敗を乗り越えるアロンへの託された祝福…この五旬節に際し、私たちは民数記6章24-26節にある「アロンの祝福」に深く耳を傾けたいと思います。この祝福の言葉は、その背景にあるアロンの物語を知ることで、より一層その意味を深めます。モーセがシナイ山で律法を与えられている間、アロンは山の下の民衆の指導を任されていました。しかし、モーセがなかなか戻ってこないことに不安を感じた民衆は、「私たちに先立って行く神を造ってください」とアロンに迫ります。アロンは民衆の要求に屈し、金の子牛像を造り、偶像礼拝に加担するという痛恨の失敗を犯してしまいました(出エジプト記32章1-6節参照)。
◆主の赦しと愛の証としての「アロンの祝祷」…しかし、驚くべきことに、主はその失敗したアロンとその子孫に「イスラエル人を祝福せよ」(民数記6章23節)と、祝福を祈る役割を託されました。偶像礼拝という主への背信行為を行ったアロンは、民を祝福する資格など自分にはない、と心底自覚していたことでしょう。それにもかかわらず、そのような自分を用いて民を祝福するという主の深い愛と寛容さを、彼は誰よりも強く感じたに違いありません。このシンプルでありながらも美しい「アロンの祝祷」は、現在もユダヤ教、キリスト教を問わず、様々な場面で広く祈られています。この祈祷文は、あらゆる祈祷文の中でも特に古いものの一つとして知られており、かつてヒノムの谷(ゲヘナ)の埋葬洞窟の床下に隠された部屋から、長さ1インチにも満たない小さな銀の巻物として発見されたという歴史的な事実も、その尊さを物語っています。
◆常に私たちに御顔を向けられる主…主は、いつも私たち一人ひとりに御顔を向け、私たちを気遣い、祝福してくださるお方です。いなくなった一匹の羊が見つかるまで探し続ける牧者のように、私たちを慈しんでくださいます。主は自らが呪いを背負い、私たちに祝福を与え、私たちのいのちを満たしてくださいます。
◆結び…主の愛、主の祝福が届かない場所はどこにもありません。
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