Posted on 07/27/2025 at 19:27, by matsumoto
人がもし、主に誓願をし、あるいは、物断ちをしようと誓いをするなら、そのことばを破ってはならない。すべて自分の口から出たとおりのことを実行しなければならない。(民数記30章2節)
◆はじめに…SNSへの投稿しかり、昨今の政治家の発言しかり、自ら発する言葉に対する誠実さ、真実性に欠け、何かしら“言葉の重さ、厚み”が軽く薄っぺらになっているように感じます。ひいては、かけがえのない一人ひとりの大切な生命の尊厳が奪われていくような、のっぴきならない危機感を感じるのは、私だけではないと思います。
◆誓い…今日のテキストの箇所は、誓い(別の言葉で言えば「約束」)についてです。旧約時代、誓いは積極的に推奨されていました(申命記 6章13節、レビ記19章12節他参照)。偽りの誓いを立てることや、誓ったことを守らないことに対して厳しく戒められていました。ところが、当時のユダヤ社会における誓いの乱用がありました。些細なことにも誓いを立てたり、誓いの「抜け道」を探したりする風潮がありました。その具体例をイエス様が指摘しています。①神殿をさして誓う、②神殿の黄金をさして誓う、③祭壇をさして誓う、④祭壇の上の供え物をさして誓うことで、拘束力のある誓いと、誓いの無効性を区別していたのです(マタイ23章16-22節)。
◆しかり しかり、否 否…イエス様は、そんな姑息(こそく)なユダヤ人たちの思惑を見透かし、「いっその事、誓うな」(マタイ5章34節)と言われました。「『はい、はい、いいえ、いいえ』とだけ言えばそれで十分」(同37節)だと。「はい」と言うべき時は明確に「はい」と言い、「いいえ」と言うべき時は明確に「いいえ」と言うべきだと。言葉に責任を持ち、真実を語り、是々非々をはっきりさせ、軽々しい誓いを立てず、誠実な言葉を用いなさいと。誓いの精神(真実を語り、約束を果たすこと)を、イエス様は、普遍的かつ徹底的な形で「然り然り、否否」という言葉で表現されました。
◆誓い(約束)を果たされる主…私たちも、自らの発言、主張を正当化したり、自らの考えや行為に隣人を取り込む手段として、みことばを付け加え、利用したりするようなことはないでしょうか? それは本末転倒で、みことばなるイエス様が、私たちの言動を真実なるものとしてくださり、主ご自身が救いの約束を、恵みとして成就してくださることを信じます。「主は誓い、そしてみこころを変えない」(詩篇110篇4節、ヘブル7章21節)。
◆結び…私たちにとって未来は不透明で予測不可能です。しかし主イエス様が、恵みによって、私たちの一人ひとりの将来と希望を啓いてくださいます。
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