Posted on 08/10/2025 at 21:55, by matsumoto
私は、そのとき、主に懇願して言った。(申命記3章23節)
◆はじめに…先週8月6日と9日、広島と長崎のそれぞれの被爆地で80回目の平和記念(祈念)式典が開催されました。鈴木史朗長崎市長は「1945年8月9日、このまちに原子爆弾が投下されました。あの日から80年を迎える今、こんな世界になってしまうと、誰が想像したでしょうか」と切り出し、「『武力には武力を』の争いを今すぐやめてください。(…)このままでは、核戦争に突き進んでしまう。そんな人類存亡の危機が、地球で暮らす私たちひとりひとりに、差し迫っているのです(…)ノー・モア・ヒロシマ! ノー・モア・ナガサキ! ノー・モア・ウォー!! ノー・モア・ヒバクシャ!」と、式典に参加した世界各国からの代表者に向けて叫ぶように訴えていました。私たちも“平和をつくる者”(マタイ5章9節)として日常生活の中で小さな一歩一歩を重ねていきたいと願わずにはおられません。
◆懇願するモーセ…今日のテキストの箇所でモーセは、主に“懇願”(バ・エトハナン)しています。モーセは主に何を願ったのでしょうか? それは「あなたもそこに入ることは出来ない」と主に言われたヨルダン川の西側の約束の地に入らせてくださいと懇願しました。この“懇願する”というヘブル語のゲマトリア(数価)が515であることから、あるラビは、それはモーセが神にその地に入ることを祈った回数に等しいと解釈しています。それほどまでにモーセは執拗に主に願ったのです。しかしその嘆願を聞いて主はモーセに「ノー・モア・スピーキング!」(もう話しかけないで!)と、祈りを止められました。
◆みこころに応答する…ここで大切なことは、私たちの願いを百パーセント主が叶えてくださり、自分の思い通り、願い通りに事が運ぶことではなく、主のみこころ(みことば)に応答することです。主に聞かれない祈りはありません。百パーセント祈りは聞かれます。だから私たちは主に祈り続けます。その祈りに対する主の答えが私たちの期待と違ったとしても、それが私たちにとって最善と信じて主に感謝するとき、私たちの内側から喜びが溢れて感謝の祈りに導かれ、主が身近におられることを体験し、日々の生活の中で神の国を体験します。きっとモーセは祈りを止められた後、主が語られた通りピスガの山頂に上り、ヨルダン川の西の約束の地を見下ろすと同時に、自身の内側には霊的な約束の地カナンを抱きつつ、ヨシュアをはじめとして次世代にみことばを継承しました。
◆結び…「心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。」(申命記6章5節)と、モーセは民に告げ、イエス様もこのみことばを取り上げ、神を愛し、隣人を愛することが、もっとも大切なみことばであると語られました(マルコ12章28-34節)。これが究極の平和宣言でしょう。
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