Posted on 09/15/2025 at 06:32, by matsumoto
あなたの神、主が、あなたとあなたの家とに与えられたすべての恵みを、あなたは、レビ人およびあなたがたのうちの在留異国人とともに喜びなさい。(申命記26章11節)
◆はじめに…毎日、職場への通勤時に黙想タイムを持っています。その日の一瞬一瞬が、主が創造して与えて下さる素晴らしい瞬間だと言うことを確認して後、出勤しています。身体的な疲れと精神的緊張感から起こるネガティブな感情を、主によって、毎日、御霊の実である喜びの感情に造り変えて頂いています。気持ちを整えて職場に行くと、仕事はハードですが、重症心身障害者の通所利用者との関わりを通して励まされ、今日も一日“良かった”と、創造の主に感謝して、その日を終えています。
◆喜びは幸福の10倍…申命記26章11節は、神がイスラエルの民をエジプトの奴隷状態から救い出し、約束の地に導いてくれたことへの記念です。神が与えて下さった祝福を喜び、レビ人や在留異国人と共に分かち合うことを奨励しています。ギリシャ人哲学者のアリストテレスは、幸福こそがすべての人間が目指す究極の善である(『ニコマコス倫理学』)と述べましたが、旧約聖書(主にトーラー)で幸福(アシュレイ)は、その中心的な価値ではありません。喜び(サメハ)という言葉は、幸福の約10倍、登場します。つまり、“喜び”がトーラー(特に申命記)の根本的なテーマの一つです。なぜ喜びが幸福よりも重要視されるのでしょうか?
◆個別ではなく共有…詩篇1篇1-3節に、トーラーに従って生きる人に与えられる、穏やかで祝福された幸福な人生が描写されています。木のように根を張り、過ぎ去る風や気まぐれに吹き飛ばされることはなく、豊かに実を結び、堅固に生き、繁栄する。しかし、幸福とは個人の心の状態です。他方、喜びは個人に関するものではなく、私たちの共有(共鳴)に関するものです。申命記12章6-7節、16章11節、そして26章11節にあるように、分かち合う喜びです。それは私たちが一人で経験するものではありません。そして喜びは、家族、同胞にとどまらず、社会的弱者、そして異国人にまで拡がり、共有されるものなのです。
◆喜びの効果…『ライ麦畑でつかまえて』の作者、J・D・サリンジャーがかつて「幸福は固体であり、喜びは液体である」と言いました。喜びは社会的な感情であり、他者と一体になったときに感じる高揚感であり、孤独からの解放です。
◆イエス様と喜び…イエス様はたとえ話で、失った一匹の羊を見つけた時、失った銀貨を見つけた時に、見つけた人は、友だちや近所の人々と“いっしょに喜ぶ”でしょうと語られています(ルカ15章4-9節参照)。喜びは隣人と分かち合うことで波紋のように拡がって、天に届き、御使いたちも喜ばずにはいられなくなると。
◆結び…主は、私たちの喜びを共に喜ぶために私たちのすぐ傍らにおられます。
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