Posted on 09/28/2025 at 15:51, by matsumoto
言った。私は、きょう、百二十歳である。もう出入りができない。主は私に、「あなたは、このヨルダンを渡ることができない」と言われた。(申命記31章2節)
◆はじめに…先週の23日(秋分の日)、秋の訪れを感じたくて「彼岸花の名所」を検索したところ、新見南吉記念館がヒットしたので出掛けて来ました。恥ずかしながら新見南吉については名前の他は知らなかったのですが、児童文学作家で、代表作『ごんぎつね』があり、小学校の国語の教科書にも掲載されています。また、数々の詩作もしており、『明日』という詩が目に止まりました。花園みたいにまつてゐる/祭みたいにまつてゐる/明日がみんなをまつてゐる/草の芽、あめ牛、てんと虫/明日はみんなをまつてゐる/明日はさなぎが蝶になる/明日はつぼみが花になる/明日は卵がひなになる/明日はみんなをまつてゐる/泉のやうにわいてゐる/らんぷのやうに点つてる。
◆613番目(結び)の戒律…今日のテキストは、トーラー(律法、モーセ五書)における最後のミツヴァ(戒律)で、申命記31章19節「自分のためにこの歌を書き記し、それをイスラエルの子らに教えよ」という命令を含む箇所です。これは伝統的に「トーラーを書き写すこと」と解釈されています。仏教に「写経」がありますが「写経は、仏さまの「経」を一字一字「写」しとり、その正しい教えをしっかり受け止め、こころを整える行です。自ら写経をすることによって浄土の教えを知り、より心のこもったお念仏を称える助けとすること」(浄土宗総本山知恩院HPより抜粋)のために行うのに対して、モーセが自らの生涯を閉じる際に命じたトーラーの書き写しは、「『私の祖先はモーセからトーラーを受けた』と言うだけではなく、それを受け継ぎ、世代ごとに確認する歴史的な営み」、すなわち主とユダヤ民族との間の愛に基づく契約(約束)の永続的な更新の営みと言えます。
◆私たちの故郷…トーラーはユダヤ人にとって“持ち運び可能な故郷”と呼ばれています。私たち信仰者にとっての根源的かつ霊的な故郷は“エデンの園”でしょう。そこはまさに“パラダイス”です。律法の成就者(マタイ5章17節)なるイエス様は、地上生涯を十字架で終える際、七つの御言葉を語られ、その第二の御言葉は、「まことにあなたに告げます。あなたはきょうわたしとともにパラダイス(=ヘブル語訳でエデンの園)にいます」(ルカ23章43節)でした。律法の言葉が、霊を宿し肉をまとった神の子なるイエス様が、私たちに近づいて来られ、私たちとともにおられるところ、そこが私たちにとっての故郷であり、パラダイスであり、エデンの園です。それは私たちが生きている“きょう”の瞬間です。
◆結び…きょう、私たちとともにおられるイエス様は、明日も、そしていつまでも私たちの帰りを待ち、ともにおられる方です(ヘブル13章8節参照)。
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