Posted on 11/16/2025 at 08:03, by matsumoto
私がイスラエルの神、主にかけて、『必ず、あなたの子ソロモンが私の跡を継いで王となる。彼が私に代わって王座に着く』と言ってあなたに誓ったとおり、きょう、必ずそのとおりにしよう。」(①列王記1章30節)《関連聖句》創世記23:1-25:18/マタイ8:19-22/ルカ9:57-62
◆はじめに…私の父は今92歳です。食も徐々に細くなり、体力も減退し、口癖は「もう、幾ばくも無いわ」です。寄る年波には勝てないという現実と「こんなはずじゃない」という思いの谷間で、戸惑っている様子です。
◆継承とは…今日取り上げる各々の聖書のテキストのテーマは〝継承とは何か〟それは、単なる血統や財産の話ではありません。聖書が語る継承とは、主の約束に応えるために、自らの人生を差し出す「覚悟」の物語です。
◆アブラハムの覚悟…アブラハムは、主から「土地」と「子孫」の約束を受けました。しかし、サラの死の時点で彼は土地を一片も所有しておらず、子はイサクただ一人。約束と現実の間には深い谷がありました。それでも彼は動きます。サラの埋葬地を買い取り、イサクの妻を探すために召使いを送り出し、諦めませんでした。これは、約束と現実の裂け目に「金継ぎ」を施すような覚悟の表れです。
◆ダビデの覚悟…①列王記1章では、ダビデ王が老齢となり、アドニヤが自らを王と宣言し、陰謀を巡らせます。預言者ナタンとバテシバは、主の約束とダビデの誓いを思い出させ、ソロモンを王とするよう働きかけます。これもまた、共同体の器が崩れかけたとき、信仰と行動によって修復される「金継ぎ」の瞬間です。
◆イエス様の呼びかけ…ルカ9章でイエス様は「狐には穴があり、空の鳥には巣がある。しかし、人の子には枕する所もない」と。弟子は「まず父を葬らせてください」「家族に別れを告げさせてください」。イエス様は言います。「鋤に手をかけてから後ろを振り返る者は、神の国にふさわしくない」。傷を抱えたままでも、直ちに、そして徹底して応答する者が、「金継ぎ」をする者なのです。
◆何を継承するのか…私たちもまた、傷ついた世界の只中で、主への信頼という漆を用い、覚悟という黄金の線で器を修復する使命を担っています。継承とは、完璧な理想を渡すことではなく、傷を受け入れ、そこに美しい金の線を刻み込むことです。主はその器を、私たちの手に委ねておられます。私たちが継承するのは、傷のない理想郷ではなく、傷を通して輝く希望です。信仰の継ぎ目が、愛と赦しと覚悟で輝くとき、復活のキリストのからだとしての共同体(共生社会)は、以前よりも深く、強く、美しくなるでしょう。私たちの失敗や痛みも、主の御手によって「金継ぎ」され、新たな使命(継承)の器へと変えられていきます。
◆結び…主が私たちを信じて任せて下さっていることに応えられますように。
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