Posted on 12/14/2025 at 16:31, by matsumoto
そこで、ヨセフは人をやって、父ヤコブと七十五人の全親族を呼び寄せました。(使徒7章14節)《関連聖句》創世記37:1-40:23/アモス書:6-3:8/使徒7:9-16
◆はじめに…私たちは今日の第三アドベントに、主の揺るぎない救いの約束を振り返ります。私たちは、その救いの約束の成就であるイエス様を指し示したバプテスマのヨハネを象徴する「バプテスマのヨハネのキャンドル」に火を灯します。
◆羊の門なるイエス様…今日取り上げた聖書箇所は、ステパノの宣教の一節で、ヨセフは“人をやって”父ヤコブら親族一同を呼び寄せました。ヨセフから遣わされた人は、イエス様の到来の道備えをしたバプテスマのヨハネの型と言えます。そしてヨセフは神の民を呼び集められるイエス様(羊の門)の型です。
◆御国への熱意…バプテスマのヨハネは、自らを「荒野で叫ぶ声」とし、「悔い改めよ」と迫りました。彼は、人々からの賞賛を求めず、ただひたすらに「私はその方の履物のひもを解く値打ちさえない」「見よ、世の罪を取り除く神の小羊」と語り、主イエス様を指し示しました。これは、私たち人間の隠されている自己中心という罪の本性を明らかにし、神の御国へ入るための唯一の道である「羊の門なるイエス様」を示したのです。バプテスマのヨハネが指し示したイエス様は「バプテスマのヨハネの日以来この方、天の御国は激しく攻められています。そして、激しく攻める者たちがそれを奪い取っています」(マタイ11:12)と語られました。この「激しく攻められています(=ほとばしり出ています)」という言葉には、神の御国への熱意が込められています。想像してください。真冬の寒さから、あるいは飢えから、羊飼いの保護と豊かな食物(永遠のいのち)のある囲いの門の前に、多数の羊の群れが押し合いへし合いしている様子を。ヨハネのメッセージを聞き、悔い改めた徴税人や遊女たちは、まさにこの「押し合いへし合い」するように、神の御国(イエス様のふところ)へ飛び込もうとしたのです。
◆主の計画と私たちへの問いかけ…人間のどんな罪や悪意(憎しみからヨセフを売った兄たちの行為など)も、主のご計画を阻止することはできません。主は私たちの最も深い悪意さえも、ご自身の壮大な計画の中で働かせられます。しかし同時に、主は義の神であり、不正や罪を看過されることはありません(アモス3章7-8節参照)。その私たちの罪をイエス様は身代わりとなって自ら背負って下さったのです。だからこそ、私たちは問われています。私たちは、この救いの約束をどれほどの熱意をもって求めているでしょうか? 私たちは、「押し合いへし合いする羊」のように、イエス様のふところへ方向転換をしているでしょうか?
◆結び…バプテスマのヨハネの光のもと、羊が囲いを求めて押し寄せるように、切実に救い主イエス様を求めつつ待降節のときを共に歩める幸いを感謝します。
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