Posted on 12/28/2025 at 17:33, by matsumoto

『裂かれたものを一本にする主』(ユダヤ人キリスト者と共に ヴァイガシュ)(2025.12.28)

彼らに言え。神である主はこう仰せられる。見よ。わたしは、エフライムの手にあるヨセフの杖と、それにつくイスラエルの諸部族とを取り、それらをユダの杖に合わせて、一本の杖とし、わたしの手の中で一つとする(エゼキエル書37章19節)《関連聖句》創世記44:18-47:27/エゼキエル書37:15-28/使徒7:9-16

◆はじめに…私たちの人生には、さまざまな「断絶」があります。家族の不和、コミュニティの分裂、価値観の衝突、そして自分自身の心の中にある葛藤。聖書は、こうした“裂かれた現実”を見過ごすことなく、そこに働かれる主を証ししています。今日与えられた三つの聖書箇所は、共通して「裂かれたものを一本にする主」を指し示しています。

◆家族の和解…ヨセフ物語のクライマックスは、兄弟の再会だけではありません。そこには、深い断絶を越えるための“変化”がありました。かつてヨセフを売ったユダが、今や弟ベニヤミンのために自らを差し出す者へと変えられたこと。ヨセフが過去の傷に支配されず、「神はこれを良いことに変えられた」と告白したこと。この二つの変化が、裂かれた家族を再び一つに結び合わせました。

◆民族の再統合…和解は人間の努力だけではなく、主が働かれる救いの業であることが示されています。預言者エゼキエルは、主から二本の枝を一本に合わせる象徴行為を示されました。一本の枝は北王国(エフライム/ヨセフ)、もう一本の枝は南王国(ユダ)。歴史の中で裂かれた二つの民を、主はご自身の手の中で一本にされる。これは主が人々の心を新しくし、霊を注ぎ、内側から再創造するという約束です。「わたしの手の中で一つとする」(エゼキエル37章19節)の御言葉は、主こそが断絶を越える力を持つ方であることを宣言しています。

◆救いの歴史の継続…殉教者ステパノは、ヨセフの物語を語り直しながら、主の救いの糸は、拒絶されても、迫害されても、決して切れないと証ししました。アブラハムからヨセフ、そしてモーセ、さらにイエス様へ。裂かれた歴史の中を、一本の救いの糸が貫いて流れ続けています。エゼキエルが見た「一本の杖」は、イエス様においてさらに深く成就し、ユダヤ人と異邦人が一つの民とされる(エペソ2章14–16節)という新しい現実へと広がりました。主の和解は、単なる感情の癒しではありません。それは、バラバラになったものを結び合わせ、新しい使命へと向かわせる創造の業です。

◆結び…私たちの人生にも、裂かれた場所があります。関係の断絶、過去の傷、行き詰まった未来…。しかし主は、それらを御手に包み込み、一本の新しい物語へと編み上げてくださる方です。裂かれたものを一本にする主を信頼し、今日ここから、新しい年へ向かって一歩を踏み出していきたいと願います。

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