Posted on 01/04/2026 at 17:20, by matsumoto
「あなたの神、主の戒めを守り、モーセの律法に書かれているとおりに、主のおきてと、命令と、定めと、さとしとを守って主の道を歩まなければならない。あなたが何をしても、どこへ行っても、栄えるためである」(①列王記2章3節)
《関連聖句》創世記47:28-50:26/①列王記2:1-12/ヘブル11:21-22,①ペテロ1:3-9
◆はじめに…人生の幕を閉じる時、聖書の先祖たちが遺したのは財産ではなく「主の約束」でした。RADWIMPS(ラッドウィンプス)は『正解』の中で「答えがある問いばかりを教わってきた」と歌いますが、信仰の歩みとは、用意された正解を探すことではなく、主と共に未来を「正解」にしていくプロセスです。
◆運命ではなく「選択」する自由…あるラビは「未来は予測(Predict)するものではなく、選択(Choose)するものだ」と説きました。創世記の最後、ヤコブが子らに遺したのは決定された運命ではありませんでした。「制限時間はあなたのこれからの人生」という歌詞の通り、主はあえて人生という解答用紙に「空欄」を残されました。ヨセフが苦難を「主の計らい」へと変えたように、私たちが信仰によって何を選ぶかが、未来を書き換えていくのです。
◆次の世代に道を示す…ダビデもまた、ソロモンに対し「主の道を歩め」(①列王記2章3節)と遺言しました。彼が渡したのは政治の技術ではなく、主と共に歩むという「選択の方向性」です。未来が決まっていないからこそ、次世代がどの道を選ぶかが決定的な意味を持ちます。それはヒゼキヤ王が死の宣告を祈りによって覆した(②列王記20章1-6節)ように、信仰者の祈りと選択には、歴史を変える力が宿っているのです。
◆私たちが受け取った「生ける望み」…この約束は、キリストの復活により「朽ちず、汚れず、消えない、生ける望み」(①ペテロ1章3-4節)として結実しました。たとえ試練という鋭い剣が首筋にあっても、祈りをやめず、神の真実さに立ち続ける自由が私たちには与えられているのです(①コリント10章13節参照)。
◆結び…私たちが次世代へ渡す遺産は、四つあります。第一に「主の約束」、第二に「生ける望み」、第三に「主の真実さの経験」、そして第四に、主が私たちの人生に触れてくださった「私たち自身の物語」です。未来は閉ざされていません。私たちは主の物語の一部として、約束を受け取り、自らの選択によって新しい未来を切り拓き、それを次へと繋ぐ者です。新しい年に、私たちの主から受ける恵みの足跡が、次の世代の確かな土台となるよう祈ります。イエス様は御声を掛けてくださっています。「行って実を結びなさい」「よーい はじめ」
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