Posted on 01/18/2026 at 21:09, by matsumoto

『主の主権に委ねる』(ユダヤ人キリスト者と共に ヴァエラ)(2026.1.18)

神はモーセに告げて仰せられた。「わたしは主である」(出エジプト記6章2節)

《関連聖句》出エジプト記6:2-9:35/エゼキエル書28:25-29:21/ローマ9:14-17

◆はじめに…私たちは人生において、努力や祈りだけでは動かせない高い壁にぶつかることがあります。しかし、聖書が示す「神の主権」とは、まさにその動かない現実のただ中で、神がどのように歴史を動かし、人を導かれるかを現すものです。

◆神はご自身をあらわす方…出エジプト記6章で、苦役の中にある民に対し、神はまず「わたしは主である」とご自身の名を宣言されました。状況が好転する前に、神は約束を再確認させられます。解放の第一歩は、状況の変化ではなく、「主が共におられる」という事実を受け入れることから始まります。

◆人間の拒絶をも用いる神の主権…出エジプト記7-9章では、ファラオの心のかたくなささえも、神の栄光をあらわす舞台となります。人間の反抗や不信も、神の救いの計画を妨げることはできません。神は歴史の逆風さえも用いて、ご自身が唯一の主であることを全地に知らしめ、救いの物語を進められます。

◆裁きの中にある回復の約束…エゼキエル書において、高慢なエジプトへの裁きは破壊で終わるものではありませんでした。神の目的は、散らされた民を再び集め、回復させることにあります。主の主権は、厳しい裁きの中にあっても常に「あわれみ」と「回復」を見据えているのです。

◆人間の行いによらない神のあわれみ…ローマ書9章でパウロが語るように、神の選びとあわれみは、人間の努力や功績によるものではありません。神が「あわれもうと思う者をあわれまれる」という圧倒的な主権こそが、私たちの救いの確かな根拠です。私たちの弱さにかかわらず、神の主権的な愛が先立って働いているのです。

◆結び…神は歴史の主であり、人間のかたくなさを超えてご自身の計画を成し遂げられます。「動かない現実」に見えるものすべては、神の主権の中にあります。自らの力を手放して主のあわれみに信頼する時、私たちは主によって開かれる「解放の道」を歩み始めることができるのです。私たちは『自分には無理だ』『現実は変わらない』と絶望するかもしれません。しかし、イエス様は『人にはできないことでも、神にはできる』(ルカの福音書18章27節)と言われました。1私たちの頑なささえも用いて計画を成し遂げられる主の主権に、今、すべてを委ね、主に任せたい、そう願います。

 

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