Posted on 01/31/2026 at 21:19, by matsumoto

『裂かれた岩から流れるいのち」』(ユダヤ人キリスト者と共に ベシャラフ)2026.2.1

しかし、兵士のうちのひとりがイエスのわき腹を槍で突き刺した。すると、ただちに血と水が出て来た。(ヨハネ福音書19章34節)《関連聖句》出エジプト記 13:17-17:16/士師記 4:4-5:31/ヨハネによる福音書 6:25-35,19:31-37

◆はじめに…出エジプトの民は、海と軍隊に挟まれ、完全に行き場を失いました。しかし、主はそこで「前進せよ」と語り、海を裂いて道を開かれました。私たちも、人生のある瞬間、もう無理だ、もう道がないと感じることがあります。しかし聖書は繰り返し語ります。「道がないところに、主は道を造られる」と。

◆荒野で与えられる“命の恵み”…海を渡った民は、すぐに荒野の現実に直面します。渇き、飢え、敵の襲撃。しかしそのすべての場面で、主は命を支える恵みを与えました。苦い水が甘くなる、マナが降る、岩から水が湧く、モーセの手を支える仲間が与えられる。荒野は、主が「命はわたしから来る」と教える場所でした。そしてイエス様は、「わたしがいのちのパンである」と語られます。主はついに、ご自身を与えるところまで来られたのです。

◆予想外の器を通して働く神…士師記のデボラとヤエルの物語は、主が自由に、予想外の器を用いられるかを示します。女性の士師デボラ、天幕に住むヤエル。彼女たちは当時の社会では周縁に置かれた存在でした。しかし主は、彼女たちを通してイスラエルを救われました。主は、「強い者」「立派な者」を選ぶのではありません。主は、“そこにいる者”を選び、立て、用いる方です。私たちが「自分には無理だ」と思う場所にこそ、主の働きが始まることがあります。

◆裂かれた岩、裂かれたキリスト…出エジプトの岩から水が流れたように、十字架のイエスの脇腹から「血と水」が流れました。荒野で民を生かした水は、十字架で裂かれたキリストの身体において、永遠の命の水へと変わりました。主は、海を裂き、岩を裂き、ついに、ご自身の身体を裂いて命を与えられたのです。

◆“裂かれた恵み”を受けて生きる…私たちの信仰は、「裂かれた者から命が流れる物語」です。モーセの弱さを支える仲間、デボラの歌に励まされる民 、ヤエルの勇気、荒野のパン、岩の水、そして、裂かれたキリスト。主の救いは、弱さ・裂け目・限界を通して流れ出します。私たちの弱さもまた、主が命を流す“泉”となり得るのです。

◆結び…私たちが立っている場所にも、海のような壁や、荒野のような渇きがあるかもしれません。しかし、主は今も道を開き、命を与え、予想外の器を立てる方です。そしてその中心には、裂かれたキリストの愛があります。私たちが受け取る恵みは、「いのちのパン」であるイエス様ご自身です。

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