Posted on 02/15/2026 at 08:53, by matsumoto
しかし、わたしはあなたがたに言います。悪い者に手向かってはいけません。あなたの右の頬を打つような者には、左の頬も向けなさい。(マタイ福音書5章39節)《関連聖句》出エジプト記 21:1-24:18/エレミヤ書34:8-22,33:25-26/マタイ福音書5:38-42,15:1-20
◆はじめに…私たちは職場や地域社会の対人関係の中で、理不尽な怒気を含んだ声を浴びせられたり、見下されたりしたとき、私たちの本能は「反撃」か「逃避(フリーズ)」を選択しようとします。しかしイエス様は「左の頬も向けなさい」と語られます。この御言葉が示す真意は一体、何でしょうか?
◆律法の精神…今日のパラシャの出エジプト記は、十戒(原則)を具体的な日常生活に適用した「社会法」です。ここに奴隷の解放や損害賠償の規定は、当時の近隣諸国の法典に比べ、極めて人道的です。たとえば「目には目」。これは復讐を推奨するものではなく、「受けた被害以上の報復をしてはならない」という報復の制限であり、公平な裁判の基準でした。
◆契約の破綻…エレミヤの時代、イスラエルの民は絶体絶命の危機にありました。彼らは律法に従い一度は奴隷を解放しましたが、喉元過ぎればで、すぐにまた彼らを奴隷に連れ戻しました。主はこれを「神の名を汚す行為」と呼び、契約を破った民に裁きを宣言します。しかし同時に、神は自然界の秩序が不変であるように、ダビデの末裔を通じた回復の約束も忘れないと語ります(エレミヤ33:25-26)。
◆律法の完成―報復を超えた愛…イエス様はこの「法」のあり方を根底からアップデートします。「目には目」という制限的な法をさらに進め、「悪人に手向かってはならない」「右の頬を打たれたら左も向けなさい」と教えます(マタイ5:38-42)。相手の暴力に怯え、言われるがままになる「屈服」でもなく、「目には目」でやり返し、憎しみの連鎖を拡大させる「報復」でもありません。左の頬を差し出すことで、右の頬を右手の甲で打つ侮辱的行為に対して、「私はあなたの奴隷ではない。私を打つなら、対等な人間として右の掌で打ち直せ」と、無言で自らの尊厳を突きつける振る舞いです。これは相手を憎まず、しかし悪には加担せず、勇気を持って自らの尊厳を維持し、加害者の良心に訴えかけるイエス様の道「積極的非暴力」です。
◆結び…「左の頬を向ける」とは、相手の暴力の次元に降りることを拒否し、神の国の正義(愛)の次元に相手を引き上げようとする、極めて能動的な愛の表現なのです。このイエス様の示される愛に生きるよう私たちは招かれています。
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