Posted on 09/27/2026 at 21:41, by matsumoto
《聖書箇所》レビ記22:26-23:44,民数記29:12-16/①列王記8:2-21/ヨハネ7:37-38,1:14,黙示録7:9-17,21:1-4
《ギホンの泉》~分かち合いの呼び水~
『脆(もろ)さの中に住まわれる主 — 仮庵から永遠の都へ』
先週の25日(金)は『中秋の名月』でした。時同じく、日没から『仮庵の祭り』が始まっています。
『仮庵の祭り』(スコット)で主は、風に揺れる一時的な小屋(スッカー)で過ごすよう命じられました。元英国首席ラビのジョナサン・サックス師は「真の安心安全は堅固な城塞ではなく、私たちを包む主の臨在の内に存在する」と指摘します。信仰とは確実性を追うことではなく、不確実さの中で生きる勇気です。
かつて仮庵の祭りでは70頭の雄牛が捧げられましたが、これは主の恵みが全人類に向けられていることを象徴しています(レビ記23章、民数記29章)。
主の望みは、かつてソロモン神殿に主の栄光が満ちたように(①列王記8章)、今も、そして将来も「民の真ん中に住まう」ことです。
この約束はイエス様において最高潮を迎えます。ヨハネは「言葉は肉体となり、私たちの間に住まわれた(幕屋を張られた)」(ヨハネ1章14節)と語っています。イエス様は、受肉し、生身の身体という脆い「仮庵」を身にまとい、私たちの弱さに入り込んでくださいました。
そして祭りのクライマックス(8日目)で、イエス様は、ご自身こそが魂の渇きを癒やす「生ける水」の源であると宣言されます(ヨハネ7章37–38節)。
私たちの地上の歩みは、脆弱さや不安を伴う一時的な旅路です。しかし黙示録が示すように、やがてあらゆる民族が集い、主が永遠の幕屋を張ってすべての涙を拭い去る日が訪れます(黙示録7章、21章)。
脆(もろ)さや不確実な現状を過度に恐れず、イエス様の遣わされる生ける水(聖霊)を受けて、私たち一人ひとりに備えられている永遠の住まいの希望を抱いて一歩一歩、共に歩んで行きたいと願います。
次回の聖書箇所は
シムハットトーラー(律法の喜び) 申命記33:1-34:12,創世記1:1-2:3/ヨシュア記1:1-18/ヨハネ1:1-18,マタイ5:17-19,ヘブル8:1-13です。
〔日曜日の午後6時から約1時間、主日礼拝を行っています。お気軽にお越しください〕
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