Posted on 10/11/2026 at 17:36, by matsumoto

ユダヤ人キリスト者と共に ベレシート(はじめに)(2026.10.11)

《聖書箇所》創世記1:1-6:8/イザヤ42:5-43:10/ヨハネ1:1-18,コロサイ1:15-17,ヘブル11:1-3,②コリント4:6

《ギホンの泉》~分かち合いの呼び水~

 

『光の衣 — 創造の初めからキリストの栄光へ』

ラビ・ジョナサン・サックス師は、創世記のベレシートの記述は、「世界がどのように作られたか(科学的・物理的な問い)」に答えるものではなく、「私たちはどのように生きるべきか」「私たちは他者や社会に対してどのような責任を負っているか」という問いに答える、「正義・自由・倫理の誕生論」として読み解きました。その意味でベレシートは「生の羅針盤」なのだと語ります。

今、その「生の羅針盤」の最初の言葉「ベレシート(初めに)」から始まる壮大な物語を前にしています。世界がまだ形を持たず、深淵の上に暗闇が覆っていた時、創造主は、その闇に向かって語られました。「光あれ」。この一言から、すべてが始まりました。

創造の光 — “光の衣”としての神の臨在

創世記3章21節で、創造主は、罪を犯したアダムとエバに「皮の衣」を着せられました。ここで注目すべきは“皮(עור)”と“光(אור)”はヘブライ語で発音が同じことです。それゆえ、ユダヤの伝統(ベレシート・ラッバー)には、ラビ・メイアの写本にこう記されていたと伝えられています。「神は彼らに“光の衣(כתנות אור)”を着せられた」。つまり、人間は本来、神の光をまとっていた存在だった、と言う訳です。しかし、罪によって神の栄光の衣が失われたことを象徴的に「皮の衣」として記したと解釈されます。

堕落と闇 — 光を失った人間の物語

創造主は、人間を「神の似姿(ツェレム・エロヒーム)」として造り、自由と責任を与えられました。

しかしアダムは責任を回避し、カインは「私は弟の番人でしょうか」と言い放ちました。自由は与えられましたが、責任を果たさない時、世界は闇へと傾いていく。創世記の物語は、光を失った人間が、闇の中で迷い始める物語でもあります。

しかし、その闇のただ中で主は、救いの計画を語られました。

原始福音 — “光の衣”を取り戻す約束

人間が罪に落ちた直後、創造主は蛇に宣告されます。「彼はおまえの頭を砕く」(創世記3章15節)。これは聖書全体で最初のメシア預言(原始福音)だと、メシアニックジューは理解しました。メシアが苦しみ(かかとを砕かれ=十字架と死)、しかし最終的に勝利し(頭を砕く=十字架と復活)、人間が失った光を回復するという約束です。

つまりアダムとエバに与えられた“皮の衣”は、神の栄光の衣が罪によって失われた象徴ではなく、イエス様による贖いの先取りです。

創造のロゴス — 初めからそこにおられた光

使徒ヨハネは、創世記の「初めに」をこう読み替えます。「初めに言(ロゴス)があった」(ヨハネ1章1節)。このロゴスこそ、イエス・キリストだと。創造の光は、イエス様の光。創造の言葉は、イエス様の言葉。創造の霊は、イエス様の霊。創造のはじめからイエス様は、すでにそこにおられ、私たちの活ける「生の羅針盤」だったのです。

「ベレシート(初めに)」と創造のロゴス

ユダヤ教の伝統的解釈において、「ベレシート(בְּרֵאשִׁית)」の先頭の文字「ベート(ב)」は「家」を意味し、神が世界を住まいとして創られたことを示します。

その解釈を踏まえつつ、メシアニック・ジューは、ヨハネによる福音書1章1-3節(「初めに言(ことば)があった…」)と結びつけて解釈します。神が「光あれ」と発した「言葉(ダーバール/ロゴス)」そのものがメシア(イエス様)であり、イエス様を通じてすべてが創造されたと捉えます。そしてヘブライ語の「レシート(Reishit)」は「初物」「長子」「頭」を意味するため、コロサイ書1章15–18節「御子は、(…)造られたすべてのものより先に生まれた方」を引用して、「万物は、御子(レシート)によって造られ、御子のために造られた」と理解しまた。

新しい創造 — 私たちの心に輝く光の衣

パウロはこう語ります。「『光が、やみの中から輝き出よ』と言われた神は、私たちの心を照らし、キリストの御顔にある神の栄光を知る知識を輝かせてくださったのです。」(②コリント4章6節)。創世記の「光あれ」は、今、私たちの心の中で再び語られています。私たちは、罪によって光を失ったアダムの子ですが、イエス様によって光を取り戻した新しい人間です。イエス様の光は、私たちの内側に着せられた“光の衣”です。

光の衣をまとって生きる者として

イザヤ書43章で主は言われます。「恐れるな。わたしがあなたを贖ったのだ。わたしはあなたの名を呼んだ。あなたはわたしのもの」。創造の初めから、堕落の瞬間にも、ノアの時代の闇の中でも、そして主の十字架と復活においても、主は一貫して“光の衣”を人間に着せるために働いてこられました。

私たちはこの世の闇を自力で追い払うことはできません。しかし、無から光を創造された主は、今も私たちの人生に語りかけておられます。「光あれ」と。

私たちは、この“光の衣”をまとって、イザヤ43章10節のように「光の証人」としてこの世界に遣わされています。

 

 

《シロアムの池》~分かち合いの恵み~

次回の聖書箇所は

ノア 創世記6:9-11:32/イザヤ54:1-55:5/マタイ24:36-44/ルカ17:26-37/使徒2:1-16/①ペテロ3:18-22/②ペテロ2:5です。

〔日曜日の午後6時から約1時間、主日礼拝を行っています。お気軽にお越しください〕

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