Posted on 05/11/2025 at 21:24, by matsumoto

『いのちのパン=イエス様』(ユダヤ人キリスト者と共に エモール=言え)(2025.5.11)

あなたがたの土地の収穫を刈り入れるとき、あなたは刈るときに、畑の隅まで刈ってはならない。あなたの収穫の落ち穂も集めてはならない。貧しい者と在留異国人のために、それらを残しておかなければならない。わたしはあなたがたの神、主である。」(レビ記23章22節)

◆はじめに…最近、畑一面に緑色に輝く麦(大麦)の穂を見かけるようになりました。麦の穂波を見ると、毎年ペンテコステが近づいていることを実感します。今年は今から約1カ月後の6月8日がペンテコステになります。『アンパンマン』の原作者のやなせたかしさんは5年間、中国での戦争に従軍しました。その時は「日本の戦争は正しい」と信じて疑いませんでした。それが戦後、すべてがひっくり返ってしまった現実を目の当たりに。「ある日を境に逆転してしまう正義は本当の正義ではない。しかし、本当の正義はあるのだろうか…」。そして一つの結論に達します。「もし、この世にひっくり返らない正義があるとすれば、それはお腹の空いている人に食べ物を分け与えることではないか。食べ物を与えることは人を生かすことだ」と。これが『アンパンマン』を生み出すルーツに。

◆刈り残しと落ち穂…今日の聖書のテキストは「刈り残しと落ち穂」の箇所です。もともと土地は百パーセント創造主のものです。地主の所有物ではありません。そしてそこで育った作物も主のものです。百パーセント主の恵みの賜物(贈り物)として人間に管理が任されているものです。地主は収穫物の一部を恵まれない人々のために残すように指示されたこの慣習は、初期の社会福祉の形であり、地域社会が弱い立場にある人々をケアすることを保証する、神の正義と慈しみの心を反映しています。まさに、やなせたかしさんの言うところの“ひっくり返らない”本当(神)の正義です。

◆安息日の主…この「刈り残しと落ち穂」の指示が、五旬節(ペンテコステ)の祭りと新年(ローシュハシャナー)の祭りの間に置かれています。キリスト教的に言えば、教会の誕生と教会の携挙の間ということになります。それはなぜでしょうか? それは二つの側面から解釈できます。ひとつは、貧しい人、弱い人と生命の糧を分かち合うことが教会の中心的な使命だということであり、もうひとつは、教会のイベントや組織維持強化に視点を集中し過ぎて、最も小さい者の存在を見失わないようにという、主のメッセージでしょう。ですからイエス様は弟子たちが空腹になり、麦の穂を摘んで食べることを安息日に禁じませんでした。

◆結び…イエス様は私たち一人ひとりを生かすために、ご自身を「いのちのパン」として分け与えてくださいました。新しい一週間、私たちが出会う隣人と物心両面で「いのちのパン」なるイエス様を分かち合っていけるよう祝福して下さい。

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