Posted on 07/06/2025 at 21:31, by matsumoto

『人間の弱さと神の恵み』(ユダヤ人キリスト者と共に フカット)(2025.7.6)

モーセは手を上げ、彼の杖で岩を二度打った。すると、たくさんの水がわき出たので、会衆もその家畜も飲んだ。(民数記20章11節)

◆はじめに…昨年2024年の日本人の死亡数は160万5298人(政府統計)でした。その数は毎年増加傾向にあります。そんな中、今年も多くの有名人の方々の訃報が聞かれます。歌手のいしだあゆみさん(76歳)、プロ野球の長嶋茂雄さん(89歳)、脚本家のジェームス三木さん(91歳)等々。それぞれ各界で多くの功績を残し、今尚、生前の作品や生き様を通して人々に大きな影響を与えています。私たちも年を重ね、人生の日数を数える境涯に入って、残りの人生をどう有意義に、悔いのないように生きるのか、思い巡らすことが多くなって来たのでは、と思います。

◆感情に揺れる人間の姿とモーセの過ち…本日の主題であるモーセの不信仰は、人間の本質を映し出しています。神はモーセに「杖を取り、岩に命じよ」と明確に指示されました。しかし、モーセは神の言葉に背き、杖で岩を二度打ってしまいます。この不従順により、彼はアロンと共に約束の地に入ることを許されませんでした。なぜ、イスラエルの民を導いた偉大な指導者であるモーセが、このような過ちを犯したのでしょうか? その背景には、人間の感情の複雑さが横たわっています。聖書の記述から、この出来事の直前にモーセの姉ミリヤムが亡くなったことがわかります。愛する家族との死別は、私たちを深い悲しみと疲労に陥れ、正常な判断力を奪います。感情が乱れると、神の言葉ですら半分しか耳に入らず、意図せずして過ちを犯してしまうのです。私たちもまた、肉体を持つ死すべき存在として、同様の弱さを抱えています。人生には、たとえ努力しても到達できない目標や、志半ばで終わってしまう未来があることを認めざるを得ません。

◆青銅の蛇と十字架のキリスト…しかし、私たちの人生は、失敗や挫折で終わる無意味なものではありません。たとえ感情に振り回され、過ちを犯したとしても、主は人生の要所要所で私たちを用い、すべてを益としてくださる方です。モーセが岩を二度打つという過ちを犯した後も、神は彼に「青銅の蛇」を掲げるよう命じられました。「それを仰ぎ見れば、生きる」という言葉は、単なる治療を超えた、深い救いの予表でした。これは、まさに十字架のイエス・キリストによる救いの出来事を指し示しています。罪によって死すべき存在である私たちも、イエス・キリストの十字架を見上げることによって、永遠の命と救いを得ることができるのです。モーセの不信仰という人間の弱さが露呈した出来事の中に、神の揺るぎない愛と救いの計画が織り込まれていたことに、私たちは希望を見出します。

◆結び…新しい月の始まりに、私たちはイエス・キリストの救いの御業を、自身の生き様を通して世に表していけるよう、心から主に祈ります。

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