Posted on 11/02/2025 at 22:24, by matsumoto
「しかし、主を待ち望む者は新しく力を得、鷲のように翼をかって上ることができる。走ってもたゆまず、歩いても疲れない」(イザヤ40:31)。《関連聖句》創世記12:1-17:27/ロマ3:19-5:6/ガラ3:15-18,5:1-6/コロ2:11-15/ヘブ7:1-19,11:8-12
◆はじめに…私たちは、社会生活を営むなかで、恐れや不安、同調圧力にさらされ、心が疲れ果てることが多々あります。自らの弱さ、小ささにうな垂れます。
◆弱さと小ささの中に現れる神の力…しかし主は、弱さと小ささ、不確かさのただ中に、ご自身の力と恵みを現されます。主はアブラハムに「あなたを大いなる国民(神の民)とする」(創世記12章2節)と語り、彼に契約を結ばれました。当時アブラハムは高齢(75歳)で、子もなく、旅路も不確かでした。その契約の延長線上でバビロン捕囚の民は、預言者イザヤの語った啓示の御言葉「主を待ち望む者は新たな力を得る(「力を交換する」の意)」(イザヤ書40章31節)に耳を傾け、励ましと慰めを受けました。主とは一体、誰か? 言わずもがな、私たちにとっては主イエス様です。人の力が尽きるとき、主の力が始まります。
◆主を待ち望む者に…主を待ち望むとき、天からの新しい力(贖いの力)が注がれます。イエス様は、私たちを縛る罪の履歴や債務証書を十字架によって無効にし(コロサイ2章14節)、復活によって新しい命と希望に至る道を開かれました。そして私たちを恐れではなく、愛によって生きる人生へ(ガラテヤ5章6節参照)と招いてくださいます。
◆真の神への招き…アブラハムは、偶像崇拝の中心地ウルにあって、全能の神(エル・シャダイ)の召命を受け、信仰によって未知の旅へと踏み出しました。ユダヤの伝承では、彼の父テラは偶像を造る職人であり、アブラハムはその偶像の無力さを暴(あば)くために破壊したと語られています。これは、イエス様がパリサイ人や律法学者の偽善を暴いた姿と重なります。どちらも、形だけの信仰に対する根本的な批判であり、人々を真の神との関係へと導く行動でした。
◆新しい力を得て踏み出す…私たちも、外側の形式や恐れに囚われる者ではなく、主イエス様の愛に根ざした信仰に生きる者として召されています。主を待ち望む者に与えられる力は、心身の回復に止まらず、鷲のように高く舞い上がる、まったく新しい霊の力です。今、私たちそれぞれの、心の内をイエス様の前に開き、内なる偶像(恐れ、不安、同調圧力)を、主の霊の力によって打ち砕いていただき、主の召命に応える者とさせていただきたいと願います。
◆結び…主よ、私たちの弱さと小ささの中に、あなたの力と恵みを現してください。恐れと不安の束縛から解き放ち、あなたの約束に生きる自由へと導いてください。あなたの御声に応答し、愛によって歩む者としてください。アーメン。
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