Posted on 01/11/2026 at 15:59, by matsumoto

『生ける神の招き』(ユダヤ人キリスト者と共に シェモト)(2026.1.11)

『わたしは、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である』とあります。神は死んだ者の神ではありません。生きている者の神です。」(マタイ22章32節)

《関連聖句》出エジプト記1:1-6:1/エレミヤ1:1-2:3/マタイ22:23-33,使徒3:12-15

◆はじめに…私たちは人生の苦難の中で「神は沈黙している」と感じる時があるのではないでしょうか? そんな時、私たちは出エジプト記の主の言葉に立ち返りたいと思います。「わたしはアブラハム、イサク、ヤコブの神である」(出エジプト3章6、15節、4章5節参照)。この宣言は、主が過去の約束を一時も忘れず、時を越えて愛を注ぎ続けておられることを示しています。信仰の父祖たちは歴史に埋もれた死者ではなく、今も契約の中で結ばれている「生きている者」なのです。

◆立ち上がらせてくださる「いのちの君」…ですからイエス様は、復活を否定する人々(サドカイ人)に対し「神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神なのだ」(マタイ22章32節)と断言されました。神(主)との絆は、死によってさえ断ち切られません。事実、ペテロが「命の君」と呼んだ復活の主イエス様は、今も暗闇(絶望)の淵にある私たちを癒し、立ち上がらせる力を持っています。エレミヤに語られたように、主は私たちが胎内に形造られる前から私たちを知っておられ(エレミヤ1章5節)、変わらぬ慈しみの愛をもって今この瞬間も語りかけておられるのです。

◆神の国の祝宴に招かれて…この「生ける神」との交わりは、特定の誰かだけのものではありません。イエス様は百人隊長の信仰を称え、「東から西から多くの人が来て、アブラハム、イサク、ヤコブと共に天の国の食卓に着く」(マタイ8章11節参照)と語られました。これは、民族や文化、過去の背景をすべて越えて、すべての人が神の家族として招かれているという壮大な福音です。

◆神の国の「前味」を味わう…神の家族がひとつ所に集められた神の国の完成は「祝宴」です。それは孤独や隔てが消え去り、喜びと平和が満ちる場所です。この祝宴は、単なる未来の希望ではありません。私たちが今、生ける主の招きに応答し、隣人を愛し、境界を越えて手をつなぐとき、この地上で神の国の祝宴の「前味(まえあじ)」を味わい始めることができるのです。

◆結び…私たちは決して忘れられていません。私たちを「命の君」なる復活のイエス様が今も生かしてくださっており、天の国の祝宴に私たちのための席を備えてくださっています。私たちは死に向かって歩む者ではなく、生ける主と共に、永遠の命と喜びに向かって歩んでいる者なのです。

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