Posted on 07/04/2026 at 22:48, by matsumoto
《聖書箇所》民数記16:1-18:32/①サムエル記11:14-12:22/②テモテ2:8-21,ユダ1-25
《ギホンの泉》~分かち合いの呼び水~
「聖められた器として」
人と比べてその立場をうらやみ
コラたちは「自分たちだって聖なる者だ」と叫ぶ
しかし大地は口を開けて その高慢さを飲み込み
一方で選ばれた枯れた杖には 命の実が結ぶ
神ではなく目に見える王を求めた愚かさに
激しい雷雨が降り注ぎ 私たちの罪をあぶり出す
それでも神の憐れみが尽きることはなく
主を畏れる民を 見捨てるはずがない
世の終わりに向かい 不平不満のつぶやきが満ちる濁流に
「溺れてはならない」と ユダは警告を送り
パウロは「復活された主を見上げなさい」と語る
金や銀といった 本来の素材を競い合う日々はもう終わり
土の器、木の器に御霊が満ち、むしろ欠けや割れが輝き
聖められた器として主が用いてくださる
《シロアムの池》~分かち合いの恵み~
預言者サムエルはコラの子孫です。
聖書の記述をたどると、サムエルがモーセに反逆したことで知られるレビ人「コラ」の血筋であることがはっきりと分かります。
聖書における根拠
①歴代誌 6章33-38節には、ダビデの時代に神殿の歌い手として仕えたヘマン(サムエルの孫)の家系図が記されています。そこをさかのぼると、以下のような明確な血統のつながりが確認できます。
レビ(ヤコブの息子、レビ族の祖)―ケハテ(コハテ)―イツハル―コラ(モーセに反逆した人物)―(数代を経て)―エルカナ―サムエル(預言者・最後のさばき司)
「エフライム人」という記述との関係
①サムエル記1章1節では、サムエルの父エルカナが「エフライムの山地……のエフライム人」と紹介されているため、一見するとエフライム族のようにも思えます。しかしこれは、血統がエフライム族という意味ではなく、「レビ族として、エフライム族の領地(レビ人の町)に割り当てられて住んでいた」という意味です。
聖書が示す「神の憐れみ」のドラマ
民数記16章で、コラはモーセとアロンの指導権に嫉妬して反逆を起こし、地面が裂けて飲み込まれるという非業の死を遂げました。
しかし、民数記26章11節には「ただし、コラの子らは死ななかった」とわざわざ書き残されています。
父親の反逆に加担しなかった子供たちは生き残り、その血筋から数百年後、
イスラエル王国誕生の立役者となる偉大な預言者サムエルが誕生したのです。
さらに、サムエルの孫であるヘマンの一族(コラの子孫たち)は、のちに神殿の礼拝音楽を支える音楽家・聖歌隊(コラの子たちの詩)として神に深く仕えることになります。
親の罪に縛られず、残された子孫を豊かに用いられる「神の憐れみ」を象徴する、非常に興味深い家系といえます。
コラの子による詩篇
該当する詩篇: 詩篇の第42篇-49篇、および84篇-85篇、87篇-88篇
詩篇42篇は私たちも良く知っている「鹿が谷川を慕いあえぐように」という有名な書き出しで知られる、神を渇望する祈りの詩です。
次回の聖書箇所は
フカット(規定) 民数記19:1-22:1/士師記11:1-33/ヨハネ3:9-21,4:3-30,12:27-50です。
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