Posted on 09/16/2018 at 13:10, by matsumoto

『帰りを待っておられる神』主日礼拝メッセージ要約(イエス・キリストの生涯 その35)(2018.9.16)

 

 

みなイエスをほめ、その口から出て来る恵みのことばに驚いた。そしてまた、「この人は、ヨセフの子ではないか。」と彼らは言った。(ルカによる福音書4章22節)

 

  • はじめに…ユダヤからサマリヤを通ってガリラヤへ行かれたイエス様。そこで大歓迎を受け郷里のナザレへ。人々は歓迎したものの、一変し、拒否してしまいました。
  • 聖書のことばが実現…イエス様は安息日に会堂でイザヤ書61章1-2(前半)節を朗読され、「今、耳にしたとおり、このことばが実現した」と言われました※。このみことばはメシア預言です。これを聞いた人々は、自分たちをローマの圧政から救い出してくれる方だと思う一方で、「あれはヨセフの子ではないか」とささやく人もいました。
  • イスラエルの民から異邦人へ…イエス様はエリヤやエリシャについて語られます。イスラエルにききんが起こった時、エリヤは異邦人のやもめのところに遣わされました。またエリシャによってイスラエルにいる重い皮膚病の人ではなくシリヤの皮膚病の人だけがきよめられたこと。これは神がイスラエルではなく異邦人を祝福されているということです。これを聞いたナザレの人々は怒り、イエス様を崖から突き落とそうとしました。この出来事はイスラエルの民の心を表わしています。「この方はご自分の国に来たのに民は受け入れなかった」(ヨハネ1章11節)
  • 父なる神の涙…「しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には神の子とされる特権をお与えになった」(ヨハネ1章12節)。アダムとエバは罪を犯したため、エデンの園を追放されました。父なる神は、この事以来、痛みをもって人々がご自分のもとへ帰って来ることを忍耐をもって待っておられます。そして、ひとり子イエス様を世に遣わされ、十字架の死によって和解の愛を表わされ、また帰る道を示されました(ヨハネ14章6節)。しかしユダヤの人々はイエス様を拒否しました。父なる神の涙は溢れ流れ大河となっています。
  • 結び…ユダヤ人にも異邦人である私たちにも、父なる神は「帰っておいで」と声をかけて下さいます。滅びではなく、いのちを与えるために痛みと涙をもって(申命記30章19-20節参照)

 

※ユダヤ教の会堂で朗読される聖書の箇所は1年を通して決まっています。トーラー(モーセ五書)の最初の巻である創世記から順に読み進められ、仮庵の祭の後のシムハット・トーラー(トーラーの喜び)の日に最後の巻の申命記が読まれ、再び創世記に戻ります。また、トーラーとともに関連する預言書(ハフタラー)も一緒に朗読されました。

 

昨日の安息日(15日)のユダヤ会堂の聖書日課は、トーラーは申命記31章、ハフタラーはホセア14章2-10節(新改訳聖書では9節まで)、ヨエル2章15-27節(またはミカ7章18-20節)でした。

 

今日の聖書のテキストで、イエス様が朗読されたハフタラーは、イザヤ61章(イザヤ61章10節-63章9節)ですが、この箇所が朗読されるのは、ロシュ・ハシャナ、つまりユダヤの新年の直前の安息日に読まれることになっています。ちなみに、このときのトーラーの朗読箇所は、申命記29章10節-30章20節です。

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