Posted on 11/08/2020 at 17:38, by matsumoto
私は、神とキリスト・イエスと選ばれた御使いたちとの前で、あなたにおごそかに命じます。これらのことを偏見なしに守り、何事もかたよらないで行いなさい。 (テモテへの手紙第1 5章21節)
- はじめに…私の勤めるデイサービスの駐車場に一本の柿の木があります。立派な柿が実ります。しかし渋柿です。見た目の美しい若い実は鳥も食べません。しかし青みの取れた橙色の実は、庭の手入れのボランティアのおばさんが捥いで、渋抜きをしてくれます。収穫できず高い枝に残った熟し柿は、スズメたちのご馳走になり、その他の実は、落ちて土に還り肥料になります。一口に渋柿と言っても、豊かで多様な在り方(用いられ方)があります。すべての渋柿は、一本の柿の木に実るのです。
- 信仰生活共同体…教会の始まりは、いわずもがなイエス様と出会った弟子集団のひとりひとりに聖霊が降り、聖霊に満たされたペテロらの語る福音を聞いた人々が弟子に加わり、交わり、パン裂き(聖さん)、祈りをし、財産を共有して信仰生活をともにしたことです(使徒の働き2章参照)。その後、パウロが使徒に加えられ、宣教の範囲がヨーロッパへ拡がり、足跡のようにして各地に信仰生活共同体としての教会の礎が築かれていきました。
- 信仰生活の核…教会における信仰生活の核は「主のみことば」です。そのみことばは「神の愛」から出ます。神の愛は、社会的に弱い立場に置かれている人々、孤児ややもめ、異国人、病人を包み込む愛です。その愛は旧約聖書の時代から新約時代、そして現在に至るまで一貫しています。「在留異国人を苦しめてはならない」「すべてのやもめ、またはみなしごを悩ませてはならない」「わたしは必ず彼らの叫びを聞き入れる」(出エジプト22章21-23節)「主はかたよって愛することなく、みなしごややもめのためにさばきを行ない、在留異国人を愛してこれに食物と着物を与えられる」(申命記10章17-18節)。イエス様はやもめの息子をよみがえらせ(ルカ7:11以下) 、レプタ銅貨2枚をささげたやもめの生き方を評価しました(マルコ12章42-44節)。今日の聖書のテキストでパウロはテモテに、教会に集う人たちに対して父母、兄弟姉妹として、すなわち家族として接するように勧めています。そして偏見、かたよりなく奉仕の務め(召命)をまっとうするよう命じています。イエス様はおっしゃいました。「あなたがたが、これらのわたしの兄弟たち、しかも最も小さい者たちのひとりにしたのは、わたしにしたのです」(マタイ25章40節)
- 結び…私たち一人ひとりに出来ることは本当にわずかですが、主に任せつつ神の家族として愛を持って今日を生きる一人ひとりであるよう祈ります。
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