Posted on 02/07/2021 at 17:42, by matsumoto

主日礼拝メッセージ要約『使徒信条(その9)』(イエス・キリストの生涯 その146)(2021.2.7)

かしこより来りて、生ける者と死ぬる者とを審きたまわん。(マタイ25章31-46節、ルカ21章27、28節、ローマ8章23節、ピリピ3章20節、テトス2章11-13節他参照)

  • はじめに…個人的な事ですが、今日2月7日は私の誕生日です。57歳になります。真夜中に感謝の祈りを主に捧げた時に、主から頂いたみことばが②コリント人への手紙5章17節ヨハネ福音書21章22節のみことばでした。「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました」「わたしの来るまで彼が生きながらえるのをわたしが望むとしても、それがあなたに何のかかわりがありますか。あなたは、わたしに従いなさい」。昨今、体の衰えを感じることが多くなってきましたが、反面、日々、イエス様に支えられ、日々、霊的に新しく造り替えられ、生かされていることを実感しています。
  • かしこより来りて…今日の使徒信条の学びは、第2項イエス・キリストに関する項目の結び部分になります。イエス様が将来、私たちとどのように関わってくださるかを表している部分です。“かしこ”とは父なる神の右の座、すなわち天の御国であり、イエス様が大祭司としてとりなしておられる場、私たちの永遠の居場所を備えておられる場、聖霊を派遣されている場です。そこからイエス様が来られるということです。何のために来られるのでしょうか。
  • 審きたまわん…審くために来られるのです。いわゆる“最後の審判”です。最後の審判と聞くと、ある種の不安や恐怖を感じる方があるかも知れません。逆に自分には関係ないと思われる方もあるかも知れません。ミケランジェロはじめ、ハンス・メムリンク、フラ・アンジェリコなど、中世の多くの画家たちが最後の審判の絵を描いていますが、基本的な構図は中央にイエス様、向かって左側に救われる人々、右側には滅びゆく人々になっています。救いと滅び、いのちと死、祝福とのろいが私たちの前に置かれています。しかし主のお心は私たちに救い、いのち、祝福を選ぶことです(申命記30章19章)。その機会を主は与えてくださっておられるのです。は愛の方です。
  • 愛によって…イエス様が語られた審きの内容は、教会に所属していたとか、教理や信条、律法を学んだということではなく、小さい者にどのように関わったか、ということです(マタイ25章31節以下)。イエス様の愛を受け、受けた愛を互いに分かち合うことを主は喜んでくださいます。
  • 結び…最後の審判は私たちにとって恐怖や不安ではなく、希望と喜びの機会です。主から受けている愛を互いに分かち合う一週間となるよう祈ります。

《追記》

zoom参加を希望される方は、事前に電話連絡後、主日礼拝当日の10時15分-25分の間に

ミーティングID: 619 286 4474

パスコード: 3D3M69

でアクセスしてください。

※注意事項

①礼拝時はホストから参加者のマイクをミュート設定にします(ミュートにしないとハウリングして音声が聞き取りにくい場合があるためです。礼拝後はミュート設定を解除します)

②イヤホンを使用すると音声が聞き取りやすい場合があります

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