Posted on 05/16/2021 at 09:13, by matsumoto

主日礼拝メッセージ要約『赦しの主』(イエス・キリストの生涯 その160)(2021.5.16)

私たちの負いめをお赦しください。私たちも、私たちに負いめのある人たちを赦しました。(マタイの福音書6章12節)

  • はじめに…先週に引き続き、職場で新たな事案が発生。経営母体を同じくする複数の事業所で、胃腸の不調でお休みする利用者、そして職員が同時に複数人ありました原因が疑われる業者の会社役員の方が、菓子折り持参で謝罪に来られました。責める気持ちは意識の上では毛頭ありませんでしたが、心の底から「赦した」という思いは、実際のところありませんでした。そのときは「態度保留」といったところが正直な私の気持ちでした。
  • 論語と赦し…いま大河ドラマで「青天を衝け」という“日本近代経済の父”と評される渋沢栄一の物語が放映されています。彼のバイブルは『論語』で処世の基本理念とし「右手にそろばん、左手に論語」を唱え、第一国立銀行の創立をはじめ、 多くの企業の設立・育成に関わりました。また、渋沢栄一は福祉や教育などの社会事業にも熱心に取り組み、600余りの社会事業に力を注ぎました。その『論語』で赦しに関連する言葉に「小過を赦し賢才をあげよ」というのがあります。小さな失敗は寛容に赦し、持てる能力を発揮させよ、ということです。穿った見方かも知れませんが、「大過は罰せよ」とならざるを得ません。実際、渋沢栄一には篤二という息子がいましたが、スキャンダルが発覚して、“勘当”すなわち親子の縁を切っています。
  • 聖書と赦し…渋沢栄一とその家族は、先週のメッセージで取り上げた「満福=満福(祝福に満たされる)の経世済民の神の国」を基本理念にした石井十次との接点がありました。「岡山孤児院少年音楽隊」の演奏を、渋沢邸で聴いています。息子の篤二も、その場にいました。主イエス様が篤二と出会ったとしたら、彼とどのように接したでしょうか? きっと「あなたの罪は赦された」(ルカ7章48節)と罪からの解放を宣言されたのではないでしょうか? そして親子の縁を切るのではなく、神の子として、永遠に迎え入れたことでしょう。同様に、私たちも主から罪赦された罪人なのです。だから「互いに赦せ」「互いに愛せ」と主は今日も語られています。
  • 結び…主から罪を赦されている者は、他者を赦す働きが託されています。何かの働きに有益だから赦すのではなく、その人自身が大切だから赦すのです。愛ゆえに赦すのです。しかし私たちの「赦し」「愛」は意識できる範囲です。また「愛」ゆえにしばしば間違うのです。私たちが無意識に他者を裁く「罪」を無制限の赦して下さり、愛ゆえの間違いを赦してくださり、神の子として接して下さるのです。赦し主なる主に感謝します。

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