Posted on 07/25/2021 at 05:10, by matsumoto

主日礼拝メッセージ要約『慰めは神の力』(イエス・キリストの生涯 その170)(2021.7.25)

人々は生き返った青年を家に連れて行き、ひとかたならず慰められた。(使徒の働き20章12節)

  • はじめに…先主日は夏休みを頂き、友人の引っ越しの手伝いに出かけました。旧知の牧師も手助けしてくれ、サクサクと引っ越しは完了しました。友人が後ろ髪を引かれることなく、心を一新して歩めるよう願っています。
  • ユダヤ人の陰謀…「コロナはユダヤ人の陰謀」だとか、何か不都合な事や不可解な事が起こると、その原因は「ユダヤ人の陰謀」と決めつける風潮があります。そのように何でもユダヤ人(あるいは他者)に責任転嫁してスッキリ物事を片付けるのは、思考停止状態を作るだけで、何の解決も成長もありません。何か問題(危機)が発生したときに、どう対応するのかが大切です。今日のテキストの文脈では、パウロはギリシヤ―シリヤの海路をマケドニヤ経由の陸路へ旅程を変更しています(使徒の働き20章3節)。
  • 聖霊の縛り…パウロは眼前の問題を見て、自身の知識、経験、あるいは直観で行動しているのではなく、聖霊の導きに従って行動しました。「私にどんなことが起こるのかわかりません」と自身の限界を明確に語っています(同22節)。確かに陰謀や策略があるでしょう。そして数々の誘惑や試練もあるでしょう。傷つき、痛み、恐れや不安、気持ちがへこむこともあるでしょう。しかしパウロは、聖霊の導きの中で「益になることは、少しもためらわず、あなたがたに知らせた」(同20節)と語っています。また「謙遜の限りを尽くし、涙をもって(…)主に仕えた」(同19節)とも語っています。
  • 慰め、励まし…なぜ、パウロは率直に語り、主に仕えることが出来たのでしょうか? それは聖霊様ご自身が“慰め主(パラクレートス)”だからです。傷つき、痛み、恐れ不安に苛まれ、気持ちがへこむ、弱い私たちを傍らに招いて下さる方だからです。greatly comforter(偉大なる慰め主)です。百パーセント聖霊様の慰め、励ましを身をもって顕されたのは主イエス様です。その主イエス様が、私たち一人ひとりをご自身の血をもって買い取ってくださり、キリストの体なる教会に連なる肢体として活かしてくださっています。
  • 結び…「神は、どのような苦しみのときにも、私たちを慰めてくださいます。」(②コリント人への手紙1章4節)「わたしの力は、弱さのうちに完全に現われる(…)キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう」(同12章9節)

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