Posted on 11/14/2021 at 09:01, by matsumoto

主日礼拝メッセージ要約『バビロンのただ中で』(イエス・キリストの生涯 その185)(2021.11.14)

ああ、今、戦車や兵士、二列に並んだ騎兵がやって来ます。彼らは互いに言っています。『倒れた。バビロンは倒れた。その神々のすべての刻んだ像も地に打ち砕かれた』と(イザヤ書21章9節)また、第二の、別の御使いが続いてやって来て、言った。「大バビロンは倒れた。倒れた。激しい御怒りを引き起こす不品行のぶどう酒を、すべての国国の民に飲ませた者。」(ヨハネ黙示録14章8節)

  • はじめに…先週9日、作家であり僧侶だった瀬戸内寂聴さんが99年の生涯に幕を閉じました。反戦、反原発、そして弱者に寄り添う生涯だったと言えるでしょう。墓碑銘は「愛した、書いた、祈った」だそうです。湾岸戦争の際には七日間の断食を行ない「戦争の指導者とは一線を画し、人間と人間として付き合わねば」と寄せられた浄財で薬品や粉ミルクを調達し、イラク・バグダッドの病院まで届けています。
  • 聖書の中のバビロン…古代バビロンは現在のイラク・バグダッドの南方約百キロ地点に位置しました。聖書には“バベル(アッカド語では「神の門」ヘブル語では「混乱/混沌」の意)”として創世記11章9節に登場しています。そして聖書の最終巻であるヨハネ黙示録にも登場します(ヨハネ黙示録14章8節他)。この地の歴史は、バビロンに始まり、バビロンに終わると言えます。
  • バビロンのただ中に生きる…つまり私たちは歴史の初めからその終わりまで、バビロン(混沌)のただ中で生きるということです。創世記1章2節にも「地は形なく、何もなかった(混沌)」とあることからも明らかです。そのただ中でどう生きるのかが問題です。黙示録の最終章22章14節には「自分の着物を洗って、いのちの木の実を食べる権利を与えられ、門を通って都にはいれるようになる者は幸いである」と記されています。自分の力で神の門(バビロン)を作らず、自らも創造主によって造られた被造物だという謙虚さもって、主を愛し、人を愛し、主に仕え、人に仕える生き方が、バビロンを退け、天の門に至る歩みになると言えます。その生き方は自分の能力や努力によってできるものではなく、イエス様の贖いの十字架を信じる信仰によって可能になるものです。
  • 結び…昔も今も、そして後も私たちはバビロン(宗教的・経済的・社会的混沌)の中に生きる者ですが、いつも主イエス様のみことばを聞き、感謝し、祈り、御国の約束を信じて、隣人(敵も含み)を愛し、隣人に仕える歩みをなせるよう、祈ります。

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