Posted on 01/10/2022 at 19:56, by matsumoto

主日礼拝メッセージ要約『荒野の声(希望のメッセージ)』(イエス・キリストの生涯 その193)(2022.1.9)

荒野に呼ばわる者の声がする。「主の道を備えよ。荒地で、私たちの神のために、大路を平らにせよ」(イザヤ書40章3節) この人は預言者イザヤによって、「荒野で叫ぶ者の声がする。『主の道を用意し、主の通られる道をまっすぐにせよ』」と言われたその人である。(マタイ福音書3章3節)

  • はじめに…先週の木曜日、終日肩こりと頭痛がして体調不良でした。痛み止めの頓服を飲んでも効き目がありませんでした。無力さと心細さで弱り果てていました。その日は仕事を少し早めに切り上げて午後8時には就寝しました。ラジオを聴きながら横になっていたのですが、その時流れてきたのはショパンのピアノ曲でした。そのピアノの鍵盤を叩く音が、脳の中の疲弊した神経をほどよくマッサージしてくれるようで、徐々に頭痛と肩こり、そして心がほぐれていくようでした。音楽のいやし効果を実感しました。イザヤ書38-39章に記されているヒゼキヤの病のいやしの心境でした。以前、私は自身の目指す牧会をメッセージ(宣教)・ミュージック(賛美)・マッサージ(按手・手当て)の三つのМによる牧会“3М牧会”と称したことがありましたが、今回の頭痛のいやしの体験を通して改めて霊・魂・からだの全体にアプローチする牧会の大切さを確信させられました。
  • 第二イザヤ…今日のテキストのイザヤ書40章以降は、「第二イザヤ」と呼ばれている箇所です。ユダヤ人はエルサレム神殿(ソロモン神殿と第二神殿)の破壊を記念する日、ユダヤ暦のアブの月の9日に断食と哀歌の朗誦をします。それに続く安息日に、このイザヤ書40章を朗読します。冒頭「慰めよ。慰めよ。わたしの民を」(イザヤ書40章1節)と、“慰め”が二回繰り返されることによって、二回の神殿破壊の悲しみが主によって慰められるという約束、希望のみことばとして受け止められているのです。私たちキリスト者にとっては、私たちのアイデンティティ、人生の根幹が崩されるような悲しみに遭ったとき、イエス様がそのふところに抱き「今、悲しんでいる者は幸い。慰められるから」(マタイ福音書5章4節)と、信仰によって具体的にイエス様と人格的に交わり、慰めを受けられる祝福を頂いています。
  • 主の道を整えよ…「荒野に呼ばわる者の声」(イザヤ書40章3節)がして、「主の道を整えよ」(同)と。荒野という先の見えない困難な状況のただ中で、霊・魂・からだを救いの通路として調整するようにというメッセージです。
  • 結び…神のことばは永遠であり、慰めに満ちており、荒野を前にして二の足を踏む私たちに自由の翼を与え、力を与えてくださいます。感謝。

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