Posted on 07/03/2022 at 20:03, by matsumoto

主日礼拝メッセージ要約『信仰義認』(新約に引用されている旧約 その6)(2022.7.3)

彼は主を信じた。主はそれを彼の義と認められた。(創世記15章6節) / 聖書は何と言っていますか。「それでアブラハムは神を信じた。それが彼の義とみなされた。」とあります。(ローマ人への手紙4章3節)

◆はじめに…昨日、KDDIで大規模な通信障害が発生しました。私の勤めているデイサービスでは携帯電話は必須です。たとえば送迎時にスタッフが得た利用者の情報(お休みすることだったり、その内容だったり、昼食のキャンセルだったり…)を事務所に伝達し、速やかに対処(現場での情報共有、各関係者に連絡)しなければなりません。それがフリーズしてしまいました。電波が通じないことでこれほどの不便と混乱を来してしまうのであれば、神様とのホットライン(霊の交流)が繋がらない状態では…。

◆義(その1)…今日のテキストのテーマは「信仰義認」です。ひと言で言えば「イエス様を信じて生きる」ということです。ヘブル語で“義”は“ツェダカー”で“真っ直ぐにする”ことが本来の語義です。曲がっていない、反れていない、あるいは弛(たる)んでいないということです。もっとも初歩的な通信手段は小学校の理科の実験にもあるような「糸電話」です。二つの紙コップを糸で繋いで教室の端から端までの距離をピンと糸を張って伸ばすと、小声で話しても聞こえます。人類の始祖アダムは神との関係が弛んだ(あるいは切れた)ことで神の声が聞こえなくなり、罪が入り、死が入り込みました。それをイエス様によって再びつなぎ合わせられ、神様との霊的交流が復活したとパウロは語ります(ローマ4章24節-5章21節)

◆義(その2)…「義」という漢字のつくりから、“義”の奥義を理解することも有益です。“我の上に羊”です。羊の上は御国です。そこから父なる神様が私たちを見るとき、羊すなわちイエス様しか見えません。しかもそのイエス様は贖いの小羊としてのイエス様です。私たちの罪は、イエス様の血によって覆われ、私たちは義と認められ、救いに与っているのです(ローマ5章9節)。アブラハムが信仰によって義と認められ、主と親しく交わり生きたように、私たちもイエス様を信じ、イエス様と親しく交わり生きる人生が、日々、準備されています。イエス様と私たちとの愛の関係を引き離す障害物は何もありません(ローマ8章35-39節)

◆結び…イエス様はおっしゃいました。「神の国と神の義とをまず第一に求めなさい」。自らの血と肉を捧げられた贖い主、救い主、永遠の大祭司なるイエス様が、今日も、この瞬間も、執り成しの祈りをもって、私たち一人ひとりを創造の父なる神様との霊的親子関係を保ってくださっていることを感謝します(同34節)

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