Posted on 12/18/2022 at 20:01, by matsumoto

主日礼拝メッセージ要約『あなたがたはわたしの民となる』(新約に引用されている旧約 その29)(2022.12.18)

わたしはあなたがたの間を歩み、あなたがたの神となり、あなたがたはわたしの民となる(レビ記26章12節) /神の宮と偶像に何の一致があるでしょう。私たちは生ける神の宮なのです。神がこう言われるとおりです。「わたしは彼らの間に住み、また歩む。わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる」(②コリント人への手紙6章16節) (新改訳2017)

◆はじめに…私たちはアドベント・クランツに4本(5本)のローソクを立てて、アドベントの主日毎に1本ずつ明かりを灯していきます。今日はその4本目で「マリヤのキャンドル」です。マリヤが主の御言葉を受け入れ、御子イエス様をその胎に宿した、その従順、謙遜を象徴するキャンドルです。マリヤ自身、「ひどくとまどって(…)」(ルカ1章29節)と、聖書は率直に心の葛藤を伝えています。マリヤは受胎告知する御使いと問答するなかで「おことばどおりこの身になりますように」(ルカ1章38節)と、御使いのメッセージを受け入れました。ことばを耳で聞いて真の生命を懐妊した、科学の域を超える霊的な事柄です。これは自らのいのちを主に預ける覚悟、信仰による決断です。これは、とんでもなく大きな恵みの約束、誰一人信じてくれそうもない出来事を、身体丸ごと受け止めた歴史的事実(真実)なのです。

◆神の国の民…使徒信条第3項「主は聖霊によりて宿り、処女(おとめ)マリヤより生まれ」のヘブル語訳の使徒信条もありますが、その「聖霊により宿り」のところを日本語に訳すと「聖霊によって熱心に捜し求められた」となります。マリヤを熱心に捜し求められた主は、世に惑わされ、迷える私たち一人ひとりをも熱心に捜し求め、神の国の民(=わたしの民)として回復してくださるお方です。私たちの国籍は天にあります(ピリピ3章20節)

◆思い巡らす(後悔する?)…マリヤが身重になったことが明らかになったとき、ヨセフは「内密に去らせようと、思い巡らした」と聖書は記します(マタイ1章20節)。この「思い巡らす」という言葉は70人訳聖書の創世記6章6節で用いられています。ヘブル語聖書では「主は、地上に人を造ったことを悔やみ(後悔し)(…)」です。最近、『母親になって後悔している』というタイトルの本が話題になっています。結局のところ、母親というレッテル(役割)を負わされている人が、“私”という一人の人間として生きていければいいね、ということです。「後悔する」という語はアラム語においては「慰める・(死者を)よみがえらせる」です。

◆結び…まさに抑圧された者を慰める者、再び立ち上がらせる者として主イエス様がお生まれになったのです。

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